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沢田流太極療法を経絡治療の枠組みの中で補助療法として再考し、追試検討した結果、操作面での普遍性、効果面での確実性、応用面での広範囲を獲得でき、特に鍼灸臨床で最も大事な効果面において、即効性と全身調整・全体治療に優れていることが分かりましたので報告させていただきます。

太極
太極は万物の根源であり、ここから陰陽の二元が生ずるとする。
「易有太極 是生兩儀 兩儀生四象 四象生八卦 八卦定吉凶 吉凶生大業」(易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず)である。

道(タオ)とは宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す。
道の字は辶(しんにょう)が終わりを、首が始まりを示し、道の字自体が太極にもある二元論的要素を表している。
「道生一 一生二 二生三 三生萬物」(道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず)。

無極
さらに「無極」があるが、無極は太極に先行するものではなく、太極の性質を形容するものであるとして「無極にして太極」である。

沢田流太極療法
鍼灸医道中興の祖である、沢田健師が創始した治療法で、日蓮聖人の忠実なる弟子として、鍼灸古道身読の行者を以て自ら任じ、素霊、難経、十四経、和漢三才図絵などを研究し、五臓六腑の中枢を整えれば末梢の病気は全て治るという奥義を体得し、これを大乗法華経の一念三千十二因縁の理による太極療法とした。

後に神様から非常な難問題を与えられ、それを見事にパスしたといふ自覚で、其後は直神伝沢田流開祖を自称するに至る。
鍼灸真髄より抜粋した、師やその弟子の言葉を紹介する。
  1. 薬物を用いるのは第三の療法、人間の持っている力を活発に働かせるのが第一の医学。
  2. 医道乱るれば国乱る。
  3. 国の乱れを正すは医道を正すに如くはなし。
  4. 書物は死物なり、死物の古典を以て生ける人体を読むべし
  5. 内臓が完全になほつたときには姿勢も必ずよくなる。
  6. いらん物は外へ出し、足らんものは補うという大調和の原則によるものなのです。もともと病気のなほるとうのも、調和を失っていたのが調和を得るということなのです。一体病気なぞというものはないのです。血液の循環が不均衡になつた為に調和を失つて具合が悪くなつたので、血液の循環を平均にさせれば調和を得てなおるものなんです。
  7. 病気というのはくるひがあるということだから、くるつた体はくるつたように穴を取る必要が出て来るのです。
  8. 太極療法は根本病が治るばかりではない、体質まで改造できるのです。
  9. 直観力のすぐれた人々の組織した経絡経穴であるとすれば、我等も之を会得する為には、嗜慾を去り、心を空にして、身心を清澄ならしめ、直観力をいやが上にも磨かねばならない。
  10.  病気というものは、過去の罪行の因縁の結果。
  11. 迷ってはだめです、信仰です。あくまで信じてやるのです。
  12. 患者が迷うのではない。あなたが迷つているのです。自ら信じることの出来ないような人にどうして大切な生命があづけられるものですか。
  13. 死を恐れていたら何も出来るものではない。
  14. 真に腕さえあるなら山の中へ隠れていたつて人が尋ねて来て、治療せずには居れなくなつて了うのです。
  15. 子供は神様が守つていられるので子供の病気には命柱で沢山です。
  16. せん頃わしが神様の試験に出逢った時、この関係がよくわかりました。
  17. 第三行は第二行の変化で病の第三期に入ったものです。こういう大事なことが誰も解つて居りません。
  18. 小児七才までを神童と名づく。神これを守る。
  19. 本当の師匠というものは病人です。病人を師匠として教えて貰うのですよと。だから一円の謝礼を貰つたら、五十銭は教えて貰う謝礼として返すがよい。なほしてやるのではなく、体を貸して貰い、教えて貰うのですのですと。これは今に忘れぬ有難い言葉です。

異種金属てい鍼経絡調整療法

(一社)東洋はり医学会関西名誉会長、宮脇優輝先生が考案された治療法で、その方法は、銅とアルミの異種金属のてい鍼を、局所の硬結を、上下または左右から挟むことで、点であるいは面で、あるいは列で、緩めることができる標治法の一種である。


これを同会副会長、神開雄三先生が臨床追試して体系化し、筆者が異種金属てい鍼経絡調整療法と名付けた。

異種金属経絡てい鍼経絡調整療法×沢田流太極療法=異種金属てい鍼太極療法
従来はお灸で圧痛がなくなるように整えるのを、異種金属てい鍼を用いることで、時短での調整を可能とした。

  1. 証に応じた背部兪穴を選択する。肝の変動なら肝兪か胆兪の1~3行、心の変動なら心兪か厥陰兪か小腸兪か三焦兪の1~3行、脾の変動なら脾兪か胃兪の1~3行、肺の変動なら肺兪か大腸兪の1~3行、腎の変動なら腎兪か膀胱兪の1~3行。おもしろいことに、陽虚になればなるほど臓兪ではなく腑兪に反応がでる。同じ腎虚でも腎陰虚なら腎兪1~3行、腎陽虚なら膀胱兪1~3行というように。
  2. 督脉の際(5分)を第一行、1寸5分を第二行、3寸を第三行とする。
  3. 左右の1~3行の反応を仔細に捉えて、最圧痛点を選穴する。
  4. そのツボに銅のてい鍼を垂直に当て、反対側のツボにアルミのてい鍼を垂直に当て、1~2ミリ浮かしてかざす。
  5. 脉の速さに応じて、木・火・土・金・水と唱えて鍼をツボから取る。かざす時間は約3~7秒。
  6. 効果判定は、圧痛の軽減と主訴愁訴の軽減で確認する。
証法一致すれば、即座に変化する。
病の新久は、新しいものほど1行に現れることが多く、古くなると2行3行へと広がっていく。
尊敬するKenji Seki先生の仰る通りである。
3行には膏肓穴があり、難治を表す言葉で有名な、「病膏肓に入る」は古人の経験の集積である。

また単純に、手の親指の腫れ痛み屈伸不利は、肺兪か大腸兪1~3行とか、足の親指の痛風などであれば、脾兪・胃兪・肝兪・胆兪の1~3行というように、流中の表裏経を考えた使い方も効果がある。

さらには、上歯痛には厥陰兪など、子午治療にも応用できる。
また、急性症の場合は、お腹の四霊穴で調整する。
司天である滑肉門は、上焦の一切合切を主り、在泉である大巨は、下焦の一切合切を主り、気交である天枢は、中焦の一切合切を主る。
心肺の変動なら滑肉門、脾肝の変動なら天枢、肝腎の変動なら大巨の左右差を銅アルで整えると症状が軽減する。
これらを、異種金属てい鍼太極療法とする。

小児命柱に異種金属てい鍼太極療法を施している様子。


症例
  1. 80代男性、腰痛、肝虚証で本治法後、胆兪1行右銅左アルミで軽減。
  2. 50代男性、関節炎、肝虚証で本治法後、肝兪2行左銅右アルミで軽減。
  3. 40代男性、頚上肢のしびれ痛み、肘の屈伸不利、肝虚証で本治法後、肝兪2行左銅右アルミで軽減。
  4. 10代女性、頭痛、腹痛、胸痛、脾虚肝実証で本治法後、脾兪1行左銅右アルミで軽減。
  5. 20代男性、膝痛、肝虚証で本治法後、肝兪1行右銅左アルミ+天枢右銅左アルミで軽減。
  6. 80代男性、肩こり、肩関節周囲炎、肝虚証で本治法後、肝兪2行左銅右アルミで軽減。
  7. 60代男性、腰痛、足首痛、肝虚証で本治法後、肝兪2行左銅右アルミで軽減。
  8. 1歳男児、先天性皮膚欠損症、肺虚証で本治法後、肺兪1行+腎兪1行(いわゆる命柱)左銅右アルミで軽減。
  9. 60代女性、腰下肢痛、脾虚証で本治法後、脾兪2行右銅左アルミで軽減。
  10. 1歳女児、アトピー性皮膚炎、中耳炎、腎虚証で本治法後、肺兪1行+腎兪1行(いわゆる命柱)右銅左アルミで軽減。
  11. 70代男性、腰痛、脳梗塞後遺症、腎虚心実証で本治法後、膀胱兪2行左銅右アルミで軽減。
  12. 80代男性、腰下肢痛、肝虚脾実証で本治法後、肝兪2行左銅右アルミで軽減。
  13. 40代男性、頚上肢のしびれ痛み、膝痛、逆流性食道炎、肝兪3行右銅左アルミ+天枢右銅左アルミで症状軽減
  14. 20代男性、慢性関節痛筋痛、肝虚証で本治法後、肝兪1行右銅左アルミで軽減。
  15. 80代女性、突発性難聴、膝痛、肝虚脾実証で本治法後、肝兪2行右銅左アルミで軽減。
  16. 50代女性、頚肩こり、眼精疲労、肝虚証で本治法後、肝兪1行右銅左アルミで軽減。
  17. 60代男性、股関節痛、脾虚証で本治法後、脾兪2行右銅左アルミで軽減。
  18. 40代女性、腰痛、白血病骨髄移植後経過観察中、心の病、心虚証で本治法後、三焦兪1行左銅右アルミで症状軽減。
  19. 60代女性、頚肩痛、膝痛、肝虚証で本治法後、肝兪2行左銅右アルミで軽減。
  20. 50代女性、めまい、全身の筋肉痛、肝虚証で本治法後、肝兪1行右銅左アルミで軽減。
  21. 60代女性、腰下肢痛、肝虚証で本治法後、肝兪1行左銅右アルミで軽減。
  22. 70代男性、腰下肢痛、肩関節周囲炎、肝虚証で本治法後、肝兪1行右銅左アルミで軽減。
  23. 80代男性、肺がん、右肩痛、肝虚肺実証で本治法後、胆兪1行右銅左アルミで軽減。

おわりに

二刀の先駆者である岡西裕幸先生、銅アルによるてい鍼療法を考案された宮脇優輝先生、銅アルてい鍼/奇経てい鍼を作っていただいた伊藤勝則社長、異種金属てい鍼調整療法として確立された神開雄三先生、卓越した臨床成績により沢田流再考のきっかけを与えてくださったKenji Seki先生に心よりお礼申し上げます。

そして何といっても、鍼灸医道中興の祖として今なお私たちに影響を与えてくださる沢田健師と、師の業績を形にして世に残してくださった代田文誌師に深く感謝申し上げます。


なお、銅アルを数秒間かざすだけの手技で事足りているのは、本治法で生命力を強化した上で施しているからであり、異種金属てい鍼太極療法はあくまで本治法の補助療法である。

従来の太極療法のみ、あるいは一穴のみで施す場合は、圧痛が取れるまで施灸するか適当な時間置鍼が必要であることをお断りする次第である。


補法の基本刺鍼(tonification technique)
補法は虚(deficient)、即ち生気の不足を補うのが目的。

  • 毫鍼篇
「補に曰く、之に随ふ。之に随ふの意は、妄りに行くが如し、行くが若く按ずるが若く、蚊虻の止まるが如く、留るが若く還るが若く、去ること弦絶の如し。左をして右に属せしむ。其の気、故に止まる。外門巳に閉じて、中気乃ち実す。」〈霊枢・九鍼十二原篇〉

  • 鍉鍼篇
「鍼、長さ三寸半、てい鍼は鋒黍粟しょぞくの鋭なるが如し、脉を按ずることを主つかさどる。陷すること勿なかれ、以って其の気を致いたすなり。」〈霊枢・九鍼十二原篇〉
瀉法の基本刺鍼(draining technique)
瀉法は実(excess)、即ち邪気を取り除くのが目的。
「瀉に曰く、必ず持ちて之を内れ、放ちて之を出す。陽を排して鍼は得れば邪気泄るることを得る。」〈霊枢・九鍼十二原篇〉

  • 実邪に対する瀉法
  1. 浮実(気の変化) 
  2. 弦実(血の変化)

  • 虚性の邪に対する補中の瀉法(draining within tonification technique)
  1. 塵(気の変化)
  2. 枯(気の変化)
  3. 堅(血の変化)

  • 陰実和法(yin exces Waho)
和法(Waho)は虚でもなく実でもなく、即ち気血の滞りを流し中和させるのが目的。
補瀉調整の目的は生命力の強化
疾病とは、内因(怒喜思憂悲恐驚)、外因(風暑湿燥寒火)、不内外因(飲食労倦)の三因により、私たちが生きていくために必要な五つの大切な働きである五臓(肝心脾肺腎)の生気が不足することに端を発します。

四診を総合的に判断して証を導き、五臓を原とする主たる変動経絡の虚実を弁え、補瀉調整(生気の不足を補い、生気を妨害する邪気を瀉す)し、生命力を強化して、病体を治します。
その結果、病は癒えていきます。
「内傷なければ外邪入らず」「陰主陽従」に基づき、治療は陰経の補法から始めます。
整脉力豊かに陰経を補うことができれば、相剋する陰経や病症に関連する陽経に邪実が浮いてきます。
脉状に応じて各論的瀉法(瀉法・補中の瀉法・和法)を施します。
十二経の気血が平らかになり、五臓六腑のバランスが整います。
これを経絡治療の本治法とします。
鍼灸術の奥旨とは、正に生命力の強化に尽きます。
補法の基本刺鍼~応用編
ロングバージョン
ショートバージョン
補法の鍼~臨床篇
止め鍼
治療の最後は止め鍼をして、ドーゼの多少を調節します。
実際の本治法
扁鵲(秦越人)と難経
稀代の名医、扁鵲(秦越人)は、『難経』にて、命門は生気の原であると、医道の奥旨に達しています。
そして、その盛衰を三焦で捉え、五臓を原とする主たる変動経絡の虚実を弁え、補瀉調整し、生命力の強化をはかることを鍼灸治療の本道としました。
これを為さんがために編み出されたのが、六十九難、七十五難、八十一難の治療法則であり、この千古不滅の大原則が、脉作りの臨床を可能たらしめます。

六十九難曰.
經言.

虚者補之.實者瀉之.不虚不實以經取之.何謂也.

然.

虚者補其母.

實者瀉其子.當先補之.然後瀉之.

不實不虚.以經取之者.是正經自生病.不中他邪也.當自取其經.故言以經取之.


◆七十五難曰.

經言.

東方實.西方虚.瀉南方.補北方.何謂也.

然.

金木水火土.當更相平.

東方木也.西方金也.

木欲實.金當平之.

火欲實.水當平之.

土欲實.木當平之.

金欲實.火當平之.

水欲實.土當平之.

東方肝也.則知肝實.

西方肺也.則知肺虚.

瀉南方火.補北方水.

南方火.火者木之子也.

北方水.水者木之母也.

水勝火.子能令母實.母能令子虚.故瀉火補水.欲令金不得平木也.

經曰.

不能治其虚.何問其餘.

此之謂也.


◆八十一難曰.

經言.

無實實虚虚.損不足而益有餘.

是寸口脉耶.

將病自有虚實耶.

其損益奈何.

然.

是病非謂寸口脉也.

謂病自有虚實也.

假令肝實而肺虚.肝者木也.肺者金也.金木當更相平.當知金平木.

假令肺實而肝虚微少氣.用鍼不補其肝.而反重實其肺.故曰實實虚虚.損不足而益有餘.

此者中工之所害也.


以下に基本脉型を記します。
基本脉型と治療法則
☑69難型 
適応側の肺脾補、反対側の肝瀉。
☑75難型 
適応側の腎補、同側の心または肝瀉。
☑69難型 
適応側の肝腎補、反対側の脾瀉。
☑75難型 
適応側の心補、同側の肺または脾瀉。
☑69難型 
適応側の脾心補、反対側の腎瀉。
☑75難型 
適応側の肺補、同側の肝または腎瀉。
☑69難型 
適応側の腎肺補、反対側の心瀉。
☑75難型 
適応側の肝補、同側の脾または心瀉。
☑69難型 
適応側の心肝補、反対側の肺瀉。
☑75難型 
適応側の脾補、同側の腎または肺瀉。
適応側の肝腎補、反対側の肺瀉。
適応側の肺脾補、反対側の心瀉。
適応側の心肝補、反対側の腎瀉。
適応側の腎肺補、反対側の脾瀉。
適応側の脾心補、反対側の肝瀉。

難経解説書
症例
☑患者 母親。
☑主訴 足の浮腫み。
☑現病歴 昨日から歩き過ぎたのか膝から下が浮腫んでだるくて痛い。
☑足首を周径すると、右23.8㎝左23.5。
☑脉状診 浮いて広がっている。
☑経絡腹診 脾心虚、肝腎実、肺平。
☑奇経腹診 陰蹻脉、陽蹻脉。
☑比較脉診 脾心虚、肝腎実、肺平
☑証決定 脾虚証。
☑適応側 女性であること、病症に偏りがないこと、天枢診により右側とした。
☑本治法 右水泉を補う→右陰陵泉を補う→右曲沢を補う→胃経に浮いた虚性の邪を切経して最も邪が客している左豊隆から枯に応ずる補中の瀉法→左水泉を補う。
✅効果判定 浮いて広がっていた脉が引き締まる。足に弾力性が出る。足首の周径、右23.6左23.3。
☑補助療法 宮脇奇経治療。左照海-右列缺、右申脈-左後谿に主穴に10壮従穴に6壮で無熱灸。
✅効果判定 足首の周径、右23.3左23.0。
☑経過 だる痛みが和らぐ。
☑考察 歩きすぎたということを鵜呑みにするならば、久しく行けば筋を傷るで肝か、四肢を主る脾の変動である。
僕が尊敬するSekiKenji先生は、多紀元堅(江戸時代末期の幕府医官。幕府医学館考証派を代表する漢方医。)は、肝は罷極の本を四極(四肢)の本だという解釈を述べていると教えてくれました。
脾が主になるか肝が主になるかは、四診を総合的に判断していきます。
今回は脾虚本証で上手くいきました。
良くなってよかったです。

オカンいつもありがとう。

浮腫みの病因病理
  • 脾の変動
摂取した水分は胃に納まり、消化されます。
身体にとって必要な水分と不必要な水分に泌別されます。
前者を「清」、後者を「濁」とします。
清は「津液」となってあらゆる細胞・組織・器官・臓腑経絡・四肢・百骸を潤し養い活動力を与えます。
濁は汗や小便となって体外に排泄されます。
この循環をスムーズに行う働きを「脾臓」とします。
脾臓が失調すると、水液の運化が滞ります。
流れているうちは津液として全身を巡りますが、滞ると「湿」と名を変えます。
生気を蝕む病理産物ですから「湿邪」とします。
また湿邪は蒸されると「痰」を形成しますので合わせて「湿痰」とします。
脾が失調すると湿痰によって浮腫みます。


  • 腎の変動

脾胃の消化には陽気が要ります。

この陽気を命門の火とします。

脾胃が鍋で命門が竈(かまど)の火です。

竈の火力が十分だと鍋の具がよく煮炊きできるように、命門の火が十全であれば脾胃の消化を助けます。

この働きを「腎臓」とします。

腎臓は水臓です。

ではどうして熱源となり得るのでしょうか?

ここからは発生学のお勉強です。

男子の一滴の精が女子の子宮に凝る時、胎が生じます。

父の精はその子の精となります。

精は陰であり水です。

陰は沈降の性質を有しているので、精は下に降ります。

精を蔵す器が必要なので腎臓ができます。

精は水です。

腎臓は水で満たされます。

ただし水だけだと冷えてしまうので、元々陽気が具わっています。

水中の中の決して消えることのない火です。

これを命門の火とか、臍下腎間の陽気とします。

この陽気によって水中が適温に保たれ、生命活動の根元的エネルギーとなります。

聖典『難経』では、「五臓六腑の本、十二経脈の根、呼吸の門、三焦の原、一に守邪の神と名づく」とし、命門の火、臍下腎間の陽気は生気の原であると、医道の深奥に達しています。

腎が変動すると原気の別使でる三焦が巡らないため水液が停滞します。



  • 肝の変動

肝は五行では木に属します。

木の性質は曲直です。

曲直とは屈曲と伸展です。

成長・昇発・条達の性質があります。

樹木が伸び伸びと枝葉を伸ばしていくように、気血を円滑で淀みなく隅々まで行き渡らせます。

これを「疏泄」とします。

四六時中目を凝らして適材適所に適量の気血を巡らしています。

これを「将軍の官謀慮出ず」とします。

肝将軍の疏泄による滋養と防衛は無意識に行われています。

これを「魂」とします。免疫機構です。

このような一連の働きを「肝臓」とします。

肝が十全であれば、気血を円滑に伸びやかに運行させることができるため、津液も淀みなく巡ることができます。

肝が変動して気が滞ると水も滞るので浮腫みます。


  • 肺の変動

肺は五官を主ります。

五官とは視覚・臭覚・味覚・触覚・聴覚です。

これを「魄」とします。

肺魄によって外界の情報を取り入れます。

その最前線が体表の皮膚です。

腠理(そうり)です。

呼気によって、濁気を吐き出し、津液や衛気を全身に宣発し、肌膚を温め潤し、腠理を開闔(皮膚の収縮と弛緩)し、外邪に対する防衛的な役割をします。

また吸気によって、清気を吸い込み、五臓の最も高い位置から華蓋として、津液の運行を管理調節し、軌道を清潔に保ち、中焦~下焦へと津液を粛降させ、全身に散布します。

このような働きから「肺は水の上源」とします。

これらの働きを「肺臓」とします。

肺が変動すると、宣発が失調し、腠理の開闔がバカになり、防衛力が低下するので、外邪の侵襲を受け、上焦で津液が停滞します。

風邪を引くとおしっこが出にくくなるのはよく経験するところです。

あるいは粛降できないので上に溢れて顔が浮腫みます。


  • 大自然と照らし合わせると

天空の太陽が地上の海面と大地を温めます。

温まった海面や大地に含まれる湧水が蒸発します。

蒸発した水蒸気が雲を作ります。

そして雨を降らします。

どこに降らすかは風のきまぐれです。

太陽は心です。

海面は腎です。

大地は脾です。

水蒸気は三焦です。

雲は肺です。

風は肝です。

心腎が交流しないと海面を蒸発させることができません。

脾が変動すると大地の保水力が低下します。

肺が変動すると雲ができないか乱発を招きます。

肝が変動すると風は吹かないか吹き荒れます。

その結果、

地上の水が上昇しないと下が水で溢れます。

手足が浮腫みます。

天空の水が下降しないと上に水が溢れます。

顔が浮腫みます。


治療

脾の変動は湿病、腎の変動は水気病、肝の変動は痛風歴節病、肺の変動は風水に分類されます。

また、圧痕がつくのは浮腫で脾腎の変動、圧痕がつかないのが水腫で肝の変動ということですが、絶対ではありません。


  • 本治法

病機十九条に「諸湿腫満は皆脾に求む」とあるように、浮腫みの中心は脾の変動です。

つまり、

  1. 脾虚証(脾心の虚)
  2. 肺虚証(肺脾の虚)
  3. 肝虚脾実証(肝腎の虚、脾の実)
  4. 腎虚脾実証(腎肺の虚、脾の実)

が立つことになります。

どの証にせよ、合水穴を補います。

合水穴には、大根に塩をふると水が出てしなびれるのと同じ作用があります。

本治法の前に適応側の水泉を補い、本治法の後に非適応側の水泉を補います。

水泉は内踝尖と踵の後端を結んだ線上の陥凹部あるいは圧痛硬結に取ります。

  • 補助療法

奇経治療。

照海-列缺を単独で用いるか、照海-列缺+申脈-後谿です。

宮脇奇経腹診で鑑別すると便利です。

  • 標治法

腎兪、膀胱兪に知熱灸。

足の三焦経を調整する。

「三焦は決瀆の官、水道これより出ず」とありますが、決は切り開く、瀆は水路、官は役人ですから、三焦は水路を切り開いて水に流れをよくする役人と同じ働きがあります。

膀胱経と胆経の間をこの足の三焦経は流れます。

三焦経の下合穴である委陽から崑崙までの硬結を処置していくと水はけがよくなります。

「膀胱は州都の官、津液これを蔵し、気化させ則ち出すことを能す。」とあるように、膀胱経の下合穴である委中も反応があれば調整します。

  • 養生

基本は脾を健やかにし、湿痰をこしらえないことです。

脾が変動すると湿痰を温床します。

以下の3つが病因となります。

  1. 暴飲暴食
  2. 運動不足
  3. 思慮過度

暴飲暴食すると清濁の泌別に負担をかけます。

腹八分目、場合によっては六分目を心がけましょう。

運動不足は脾胃を弱らせます。

中世の名医岡本一抱の説です。

脾胃は石臼の上下の石です。

取手は四肢です。

取手を良く動かすと石臼がよく回って細かく挽けるように、四肢つまり手足をよく動かすと脾胃が良く働き消化を助けます。

と仰っています。

適度な運動は消化もよくなるしお腹も空くので、是非心がけましょう。

散歩が一番お手軽です。

思慮過度もまた脾胃に負担をかけます。

食事は飲食物の清濁の泌別ですが、善悪の判断は精神の清濁の泌別です。

考え過ぎは脾胃に負担をかけます。

あれこれと考え過ぎないように心がけましょう。

  • 肝鬱気滞瘀血

最後に最も大事なことはストレスを回避することです。

各臓腑が失調すると浮腫みを発症しますが、その根本的原因はストレスです。

肝鬱気滞瘀血がその背景にあります。

肝鬱つまりストレスがあるから食べ過ぎに走るのです。

現代においては、ストレスこそが最強の外邪です。

ストレスを回避できるように、抱え込まないように工夫してください。

  1. ご縁のある患者さんだけでいい。
  2. 自分を磨き仕入をする。
  3. 治療成績で勝負する。
  4. 自分を大事にしまわりに感謝する。

温故知新
  • 『黄帝内経素問』上古天真論
夫上古聖人之教下也、皆謂之虚邪賊風、避之有時。恬淡虚無、真氣從之、精神内守、病安從來。是以志閑而少欲、心安而不懼、形勞而不倦、氣從以順、各從其欲、皆得所願。故美其食、任其服、樂其俗、高下不相慕、其民故曰朴。是以嗜欲不能勞其目、淫邪不能惑其心、愚智賢不肖不懼於物、故合於道。所以能年皆度百、而動作不衰者、以其徳全不危也。
 
 そもそも大昔の聖人と呼ばれる方々が、下々の人民共をよくよく教育されたのは、すべて次の事柄でござます。人間の生命力を消失させ、体の円滑な動きをそこなういろいろな病の源となる邪風というものは、これを避けることができないわけではありません。その邪風の吹く時を、暦法を按じてちゃんと知り、自ら逃れるようにすればよいのであります。
 およそ、心を静かにして、むやみやたらな欲望をおこさなければ、生の泉である真気はその人の体内を隈なく巡り、身体を正しく運営することができます。このようにして、五臓の精気であり、生命活動の根本である心の神気と腎の精気とが、充実してゆるぐことなく、体内をがっちりと防衛しておりますならば、病を起こさせる外邪など、どこから、どうして侵入することができましょうか?
 ですから、何が何でもやらねばというような、度を超えた気持ちをおこさずにのんびりとして欲望は少なくし心を安泰にして物事に動かされることなく何物も怖れず、また、肉体労働をしてもくたくたに疲れ果てるような無理をしないというようにすれば営気、衛気、ともに順調に体内を運行できるのであります。つまり欲望が少ない人は、心がいつも満足の状態であり得るわけでございます。
 そうなりますと、摂られた食物は、それで、ああ、おいしいなあ、と心に満ち足りますし服装は得られただけの衣服で不足と思わずそれぞれの境遇に甘んじて楽しく暮らし身分の上下の者共が互いにその地位と生活をうらやむことがなければ、当然、上は下をいためることなく、下は上をないがしろにすることもなくその結果として、社会は円満に治まるものであります。そうであれば人民共は真に素朴であることができます。
このような社会でありますと、人民共はどんな楽しみも、その心をまどわすことはできません。
愚かな奴も、智のある者も、賢い人も、つまらぬ連中も、皆、平等に何物もおそれることがございませんので、よく養生の道理にかなうのであります。ですから、大概の者が百歳をこえても老衰しなかったというのは、人間としてのあるべき心得を全うすることができましたので、肉体の方もそれに従って安泰であったというわけでございます。

ということで、聖人の理に則って、鍼灸師の経営学を考えると、
  1. ご縁のある患者さんだけでいい。
  2. 自分を磨き仕入をする。
  3. 治療成績で勝負する。
  4. 自分を大事にしまわりに感謝する。
ということになります。

ご縁のある患者さんだけでいい
業界に目を向ければ「やれ受療率だ」とか、個人に目を向ければ「やれ集客だ」と躍起になっていますが、本来鍼灸院には、ご縁のある患者さんが来ますから、ご縁のある患者さんだけでいいのです。
これが真理です。

そうして来ていただいた患者さんを病苦から救うために、準備をするのです。
準備は、
自分磨きと仕入れです。

自分を磨き仕入をする
東洋医学のお勉強をします。
つきなみですが、『素問』で東洋医学の生理解剖学を修め、『霊枢』で鍼と灸の運用を修め、『難経』で生命活動の根源と治療法則を修め、『傷寒雑病論』で急性病とそれ以外の病気のメカニズムを修め、『十四経発揮』で経穴を修め、さらには後生の医学書で補完します。

自分の体を使って鍼とお灸の練習をします。
自分の体で試してよければ、家族に試します。
家族に試してよければ、初めて患者さんに使えます。
リスクマネジメントです。

そして社会や地域に貢献します。

学と術を磨き、徳をつみます。

鍼灸師の仕入は、最新の医療知識と技術です。
  1. 本を読む→自分に試す→分からなかったらその道の第一人者に教えを乞う→直ぐに自分に試す。
  2. あるいは、勉強会に行って学ぶ→自分に試すでもいいです。
そうしてご縁のあった患者さんを病苦から救えるように懸命に治療します。
毎日がそのための準備です。

また、孫子は、敵を知り、味方を知れば危うからずと言っています。
あらゆる病気を東洋医学に則って、分析し治療法を研究しておけば、どんな患者さんが来ても失敗することはありません。
仕入と検証が必要なわけです。

  • 『孫子』謀攻篇
故曰、知彼知己者、百戰不殆、不知彼而知己、一勝一負、不知彼不知己、毎戰必殆、

敵を知り、味方を知れば、100度戦っても危険はない。味方を知り、敵を知らなければ勝ったり負けたりする。敵を知らず、味方も知らなければ、戦うたびに必ず危機に陥る。

治療成績で勝負する
鍼灸院経営の中心は、仕組みやサービスではなく、治療成績で勝負します。
あそこに行くと治るよー元気になるよーです😊
経営におけるこれ以上の良策を私は知りません。

自分を大事にしまわりに感謝する
体が資本ですから治療家自身の健康保全に努めます。
鍼とお灸の練習を兼ねて自分の治療をします。
体調を崩したときこそチャンスです。

また家族や身内や自分のまわりの大切な人たちの体調がすぐれない時は積極的に治療してあげてください。
日頃の恩を返すよき機会です。

  1. 自分の健康管理
  2. 家族の健康管理
  3. 自分のまわりの大切な人たちの健康管理
これを鍼灸師の三大義務としてください。

終わりに
勉強してください。
技術を身に付けてください。
社会や地域に貢献して徳をつんでください。
そうして求心力を高めれば患者は勝手に集まってきます。
このような格言があります。

“光ったナイフは草原の中に捨てられていても、いつか人が見出すものだ。”
清沢満之(信州大谷派の僧)

しかもご縁のある患者さんが来てくれます。
そしてご縁のあった患者さんを病苦から救ってあげてくたさい。

修行も修養も臨床も、全ては「道」に通じています。
故に上古天真論を設けて、養生を説いているのです。
真人、至人、聖人、賢人を紹介して、
治療家は道と一体となれるよう聖人(無心の人)を目指せと奨励しているのです。
その根底にあるのが、「老荘思想」です。

違いはあれ、老子も荘子も道を説いています。
道と一体になった者が聖人です。
聖人の特徴は「無心」です。
無心とは、
  1. 善悪、是非、美醜などの分別を退けること。あれこれ比べないこと。一切のはからいを捨てること。
  2. 私利私欲がないこと。自分の利益、自分に都合のよい願い、不安、いらだち、悩み、隠し事、後悔、世間体を気にする、気がねする、欲張るなどの有心をできるだけ取り除く。
無心であれば、よく診てよく治療することができます。
そういう治療家のもとに患者をまわしてくれるのです。
道は天地とつながっているからです。

道は人々の心の在り方でいかようにも分かれていきます。
道と一体となれるかはその人次第です。
上古天真論で対比している今の人と同じ現代人には中々困難な道かもしれませんが、現代人にも馴染みのある方の言葉で聖人への道をナビゲートさせていただき了とします。

”心が変われば行動が変わる  
行動が変われば習慣が変わる  
習慣が変われば人格が変わる  
人格が変われば運命が変わる“
(星稜高等学校野球部名誉監督 山下智茂)

治療家の資質
治療家の資質がない者はイバラの道が待っています。
治療家の資質とは、患者を思いやる気持ちです。
人ならば誰しもが持つ思いやりです。
鍼の道は人の道です。
霊枢では、黄帝が人民を思いやり、傷寒雑病論では張仲景が一族を思いやっています。
私たちも患者を思いやる心と病苦から救える実力を持たなければなりません。
以下に聖人の医療者としての気概を記します。

  • 『霊枢』九鍼十二原篇第一 法天
黄帝問於岐伯曰.
余子萬民.養百姓.而收其租税.
余哀其不給.而屬有疾病.
余欲勿使被毒藥.無用砭石.欲以微鍼.通其經脉.調其血氣.營其逆順出入之會.令可傳於後世.
必明爲之法.令終而不滅.久而不絶.易用難忘.
爲之經紀.異其章.別其表裏.
爲之終始.令各有形.先立鍼經.願聞其情.

あるとき、黄帝が岐伯を召されて、しみじみと話をなさるには、余はかねがね人民をわが子のように思い、また、文武百官をも大事にして、まつりごとを行っているつもりだ。しかしつらつら考えるにただ租税をとるばかりであって、人民どもに充分のこともしてやれない現状では余の心は痛む。そのうえ病邪に犯されて苦しんでいる者たちを見るごとに、まことに不憫に思われてならない。
そこで、このやまいを治療してやるのに、ただくすりを飲ませるだけでなく、また単にメスを用いて手術するだけでもなくて、この小さな鍼をもって皮膚の中に刺し入れ、それによってとどこおった経脈を通じ、みだれた血気の調和をとり、経脈中の血気の運行を円滑にさせ、このようにして病気を治してやりたいと思うのである。
それと同時に、この鍼による治法を確立し、永く後の世に伝えて久しく絶えることのないようにしたい。また、ひとたび治法を確立すれば以後は運用も容易になるし、記憶にも便利になって、有意義であると思う。
そのために規範を作り、各章を明らかにし、内容の表裏関係を弁別して、始めから終わりまでをはっきりと区分したい。また、使用する鍼は、すべて具体的にその形状を規定したい。
このようにして、鍼術の教典となるものを編纂したいと考えている。
  • 『傷寒論』
余毎覧越人入虢之診.望斉侯之色.未嘗不慨然嘆其才秀也。
怪当今居世之士.曾不留神医薬.精究方術.上以療君親之疾.下以救貧賤之厄.中以保身長全.以養其生.
但競逐栄勢.企踝権豪.孜孜汲汲.惟名利是務.
崇飾其末.忽棄其本.華其外而悴其内。皮之不存.毛将安附焉。
卒然遭邪風之気.嬰非常之疾.患及禍至.而方震慄.
降志屈節.欽望巫祝.告窮帰天.束手受敗。
賚百年之寿命.持至貴之重器.委付凡医.恣其所措。
咄嗟嗚呼.厥身已斃.神明消滅.変為異物.幽潜重泉.徒為啼泣.痛夫,
挙世昏迷.莫能覚悟.不惜其命.若是軽生.彼何栄勢之云哉.
而進不能愛人知人.退不能愛身知己.遭災値禍.身居厄地.蒙蒙昧昧.惷若游魂.哀乎. 
趨世之士.馳競浮華.不固根本.忘軀徇物.危若冰谷.至於是也.
余宗族素多.向餘二百。建安紀年以来.猶未十稔.其死亡者.三分有二.傷寒十居其七。
感往昔之淪喪.傷横夭之莫救.乃勤求古訓.博采衆方.撰用素問.九巻.八十一難.陰陽大論.胎臚薬録.并平脈辨証.為傷寒雑病論.合十六巻.
雖未能尽愈諸病.庶可以見病知源。若能尋余所集.思過半矣

越人(扁鵲)が虢(かく)の国へ行った時に、葬式の準備をしていたほどの仮死状態にあった太子を生き返らせたり、齊の国の桓候の顔色をみただけで病を見出したりした事実を書物でみるたびに、彼の才能が秀でていたことを今までに一度として感心し憤激しなかったことはない。
不思議に思うのは、世間の立派な人たちは、すぐれた医術を学び極めることで人々の病苦を療したり自分が天寿を全うしようなどとは少しも思うことがなく、出世したり多くの財を築こうとするために、自分より力や金のあるものに取り入ろうとして、毎日毎日あくせく名を売ることと富を得ることに一生懸命で、自分自身を削り命すらも捨ててしまうほどであるが、病気にかかり命が危うくなっても健康になることは出来ず、せっかく苦労して手に入れた権力や富も、命があってのものなのに。
突然風寒などにより激しい熱病にかかったり、とても重い病気を患ったりして事態が急になり心配したり恐怖を感ずるようになって、始めて恐れおののくようになる。そして、自分が今まで大事だと思っていたことを捨てて変心し、それまで気にもとめなかった巫女や神主に懇願する。いよいよ危篤となると、天命だとあきらめてむなしく受け入れる。人は天から百年の寿命を授かり、この上なく大切なものとして扱われていたものを、医術もろくに知らないやぶ医者に自分の命を任せて死んでいく。なんと情けないことであろうか。
ああ、その身体は死んで精神は消えて変わり果てた姿になって黄泉の国にただよう。このようになってから泣きわめく。痛ましいことだ。人は皆、利や名声にとらわれて、本当に大切なものがわかっていない。自分の命を惜しまずに軽くみていながら、どこに栄華や権勢があるというのだ。
他人を愛し親しむことができず、自分自身を愛し大切にし己を知ることができない。その結果、災難にあって、自分が危険な状態にいる。一向にその危うさに気づくことなく平気でいて、まるで魂のぬけがらのようだ。哀しいことだが、世間で威勢の良い人たちは、根本である心身の健康も顧みることなく、名誉や権力ばかりを求める。その危険なほどは、氷った谷を渡るようなものである。
私の一族一門は昔から多く、以前は二百人以上いたのだが、建安元年から十年もたたない間に、三分の二も死んでしまい、その原因の七割が傷寒によるものであった。そういった昔の悲惨な出来事を哀しく思い、救えなくて死んでしまった人々の事を痛ましく感ずることで、何とかしたいという願いから、できるだけ古人の残した書物から知識を求め、広く良い薬を探したところ、素問九巻、難経や陰陽大論、胎臚薬録の古経書と更に平脈証辨をも選び学んで、傷寒雑病論なる医術書をまとめ上げた。しかし、いまだにすべての病を治すのは無理ではあるのだが、病をみれば、病の原因
を知ることができるだろう。更に、学んできわめれば、それまで思い悩んでいたことの多くが知れるであろう。
宮川浩也先生(みやかわ温灸院院長/日本内経医学会会長)は、
ツボには(365穴のうち)、【気穴】(※腎経の气穴ではない)という特別なツボがあり、
  1. 蔵兪(陰経五兪穴の計25穴)と、
  2. 府輸(陽経五兪穴+原穴の計36穴)と、
  3. 熱兪(頭部の熱をもらすツボ+胸中の熱をもらすツボ+胃中の熱をもらすツボ+四肢の熱をもらすツボ+五臓の熱をもらす背兪穴の計59穴)がある。
この気穴は、窓(気の出入口)を持ったツボである。
窓を持っているので皮膚に存在する。
皮膚に存在するのだから、鍼は浅く刺さねばならない。
窓があるのだから、鍼を刺したあとの開け閉めは適切に行われなければならない。
この開け閉めこそが【開闔の補瀉】である。
補法とは、窓を閉じて気の漏出を防ぐことである。
瀉法とは、窓を開いて気の有余をもらすことである。
と、誌上で、気穴の所在と、気穴に対する浅刺や開闔(窓の開け閉め)等の刺鍼の要諦が、〈素問・気穴論篇〉に由来することを詳解されています。
これを根拠に、やはり蔵府治療、すなわち経絡の補瀉調整を行うのは四肢の要穴がその主役であり、浅く刺して鍼口を閉じたり開いたりしなければ、本来の効果を最大限に引き出すことはできないと言えます。
また、背部兪穴は二通りの使い方ができます。
熱兪として使う場合は、四肢同様、浅く刺して窓を開いて排熱するべきです。
例えば、アトピー性皮膚炎を治療する場合は邪熱の排熱が基本となりますが、多くは気分の熱を清熱解毒します。
気分は肌肉に相当します。
肌肉は脾の司りです。
〈素問・刺熱論篇〉に五臓の熱は三椎下~七椎下に反応が現れるとあります。
すなわち診断点であり治療点となります。
脾の熱は六椎下の霊台に出てくるので、霊台を瀉せば脾臓=肌肉=気分の熱を冷ますことができますが、瀉法を行う場合は窓を開ける刺鍼手技を加える必要があるということです。
それで熱兪として作用させることができます。

〈素問・刺熱論篇〉「・・・熱病氣穴、三椎下間主胸中熱,四椎下間主鬲中熱,五椎下間主肝熱,六椎下間主脾熱,七椎下間主腎熱,・・・。」 
もうひとつの使い方として、腰背部の筋疲労をとるのを目的とするならば、虚実寒熱を見極めて開闔の補瀉をする必要はなく、コリ所見(硬結や筋張り)を目当てに置鍼したり、必要に応じて深く刺しても構いません。
頑固な硬結には、お灸がよく効きます。
器質的な変性疾患には、刺絡をする場合もあります。
この論は、初学者だけでなく、中堅~ベテランの先生方にも有意義なものになるのではないでしょうか。

少なくとも、我々経絡治療家にとっては、普段の臨床で何気に行っている本治法で、なぜ四肢の要穴を使うのか、なぜ補法の場合は去ること弦絶の如く抜鍼と同時に鍼口を閉じ、瀉法においては下圧をかけて抜鍼し、鍼口は閉じないのかが、とってもクリアになりました。
また、東洋はり医学会が開発した補瀉の技術は、この気穴に対して最高のアプローチをしているということを、より一層認識することができました。
「補法のテクニック(tonification technique)」
「瀉法のテクニック(draining technique)」
お陰様で、本治法で四肢の要穴に補瀉をする理論的拠り所が、さらに磐石のものとなりました。
宮川先生には、心より感謝申し上げます。
より深く学ばれたい方は、〈素問・気穴論篇〉を熟読してください。

宮川先生には、日本伝統鍼灸学会で何度かお目にかかりましたが、それ以外にも様々な媒体で、宮川先生の教えの一端に触れさせていただいております。
いつも思うのですが、本当に分かりやすくスッと入ってきます。
そんな先生の書籍を1冊ご紹介させていただきます。 
温灸の専門書ですが、冒頭で経脈にも触れておられ、初学者でも経絡や気血が理解しやすい内容になっていてお得です。
特に鍼灸学生のみなさんに読んでもらいたいです\(^^)/
もちろん臨床家にもお勧めです。
是非ご購入されるとよいかと思います。
症例
☑患者 筆者。
☑現病歴 散歩から帰宅して朝食中に腹痛、悪心を発症。他には体が熱い。倦怠感。下痢。
ガイドラインによるとⅡ度に相当。
☑脉状診 やや沈、数、虚。伏脉かもしれない。
☑経絡腹診 よくわからない。
☑比較脉診 脾虚のような気がする。
※どうやら神が低下しているようだ。
☑奇経腹診 陰維脉。
☑望診 いつもより顔が赤い。
☑証決定 脉証腹証はよくわからないが病症から中焦な暑邪が中っていると診て脾虚とした。
☑適応側 天枢診にて左。
☑本治法 左陰陵泉、左曲沢に補法。陰陵泉は毫鍼で、曲沢は押し手が使えないのでてい鍼を当てる。
→腹痛、熱さ、倦怠感が消失。神がしっかりしてきた。
☑補助療法 宮脇奇経治療。左内関-右公孫に5壮-3壮で知熱灸。
→悪心が消失。
☑標治法 膻中と中脘に知熱灸3壮。
→全快。
☑止め鍼 中脘→非適応側の天枢→適応側の天枢→下腹部の最も虚した所見に火曳きの鍼→百会の左斜め後ろ2~3ミリの順に補鍼。
熱中症の病因病理
  • 古典から見た熱中症
「暑の気たる事、天に在りては、熱たり、地に在りては火たり、人の臓に在りては心たり、これを以て暑の人に中たる事、まず心につく、およそ、これに中る者は、身熱し頭痛し、煩渇して口渇く、甚だしき時は昏して人を知らず、手足微冷し、或いは吐し、或いは瀉し、或いは喘し、或いは満す。」(南北経験醫方大成)

「霍乱は、外暑熱に感じ、内飲食生冷に傷られ、たちまち心腹痛み、吐瀉、発熱、悪寒、頭痛、眩暈、煩燥し、手足冷え、脉沈にして死せんとす、転筋腹に入るものは死す。又吐せず、瀉せず、悶乱するを乾霍乱という、治しがたし。転筋は卒に吐瀉して津液乾き、脉閉じ、筋縮まり、攣(ひきつ)け、甚だしきは嚢縮り、舌巻くときは治しがたし~」(鍼灸重宝記)

  • 所在
外感病です。
温病です。

  • 八綱弁証
熱証ですから陽病です。
ただし虚熱実熱の違いがあります。
若者は陽気が盛んですから陽実証になりやすく、老人は陰液が不足してますから陰虚陽亢になりやすいです。
表裏は病症によって違います。
寒熱は熱です。
虚実も程度によって違います。

  • 病邪弁証
暑邪です。
暑気中りです。

  • 衛気営血弁証
衛分から侵襲した邪気が気分~営分~血分へと進みます。
表から裏へと進むほどに重症化します。

  • 風邪
ということで分析していくと何らかの原因によって暑邪が人体に侵襲して発病します。
原因は「風邪」です。
風邪が呼び水となって暑邪を引っ張り混んできます。

  • 風邪の発生のメカニズム
台風は高気圧と低気圧の気圧の「落差」によって発生します。
人体においても落差によって台風=風邪が発生します。
仕事や目標が達成されるとホッとします。緊張と緩和による落差です。
一喜一憂も感情の落差です。
休みの日になるとだらけます。生活リズムの落差です。
これら落差の開きが大きくなると高気圧と低気圧がぶつかり合って台風を生じるように、緊張(陰)と緩和(陽)の落差によって風邪が生じます。

  • 風邪と四時の邪
太陽中風証で自汗するように、風邪は腠理を開きます。
文字通り内側から風穴を開けます。
どこからともなくすきま風が入ってくるようなものです。
通常は衛気が体表に分布して外邪から身を守ってくれてますが、体内で風邪が発生すると腠理を開き表に風穴を開け四時の邪を呼び込みます。
冬場なら寒邪、夏場なら暑邪です。

風邪がなければ暑邪を引っ張り混んできません。
落差がなければその風邪は発生しません。
正に「内傷なければ外邪入らず」です。
熱中症の経絡治療
脾を中心に考えます。
運化、昇清、統血。
運化がままならないので消化器の病症が出現します。
昇清がままならないので意識傷害が起こります。
血を統べることがままならないので手足が冷え痙攣します。

  • 予後の診察
  1. 爪を押さえる。色が戻らなければ重症。
  2. 伏脉は順、浮いて強い脉は逆証。
※医療搬送は常に視野にいれておく。

  • 治療前に
番茶に塩を入れて飲まし、涼しいところで一服させる。

  • 本治法
  1. 脾虚で太白、大陵を補います。
  2. 顔が赤ければ陰陵泉、曲沢を補います。
  3. 時々腎虚があります。

  • 補助療法
奇経治療。
  1. 陰維脉
  2. 衝脉

  • 標治法
  1. 膻中と中脘に知熱灸。
  2. 第7-8胸椎棘突起間の右脊際に円皮鍼。

  • 養生
  1. 日々適度な緊張感をもって、一喜一憂せず、落差をなくす。
  2. 梅干しを常食する。
  3. 梅干しが苦手な幼児は番茶に塩を入れて飲ます。
最後にくれぐれも患者ファースト、人命第一で当たってください。
症例
☑患者 60歳代女性。
☑主訴 急性腰痛(ギックリ腰)。
☑現病歴 今朝起きた時から痛い。右の腰臀部に限局している。
☑理学検査 
①ラセーグ左足に比べて右足が挙がらない。その差10㎝。
②後屈と側屈と回旋で痛みが増悪。
☑脉状診 浮、数、実。 
☑比較脉診 肝腎虚、肺脾実、心平。
☑経絡腹診 肝腎虚、肺脾実、心平。
☑奇経腹診 陽維脉と陰蹻脉に反応が出ているので、右外関-右臨泣と左照海-右列缺に奇経テスターを貼付して制限のある動作をしてもらうと後屈と側屈と回旋時の痛みが軽減する。
ここでは確認だけで治療はしない。
☑証決定 肝虚証。
☑適応側 天枢診にて左。患者の脉を診ながら空いている手の労宮を左右の天枢に当てまたは翳し脉状が良くなる方を適応側とする。
誤診を防ぐため患部の変化も診ると的中率が上がる。
例えば本症例では主訴が腰痛なので腰の硬さを捉えて天枢を触って弛む方が正しい。
変化が分からなければ、基本通り男は左女は右、病症に偏りがあれば健康側を取る。
☑本治法 左中封、左復溜に補法。右上巨虚に弦実に応ずる瀉法。(※マニュアル通りにやるのではなく一鍼毎に検脉しながら必要な経絡に鍼を入れる)
☑効果判定 右足が挙がるようになりラセーグ左右差がなくなる。
後屈と側屈と回旋時の痛みも軽減するがまだもう少し残るというので、
☑標治法 
①右脊中と腰陽関に深瀉浅補。
→効果判定 後屈がさらに楽になる。
②右股関節横紋外端の反応に深瀉浅補。
→効果判定 側屈と回旋がさらに楽になる。
☑セルフケア 仕事の都合で1週間後しか来れないとのことなので、治療前に症状が軽減するのを確認しておいた奇経に自宅で金銀粒を貼るように指示して治療を終える。

ギックリ腰の病因病理
結果として仙腸関節の亜脱臼です。
なぜここが亜脱臼するのかが問題です。
その病因はストレスです。
専門的には七情の乱れです。
特に「怒」が関係します。
怒は肝を傷ります。
肝は筋(筋膜・靭帯・腱)を主るので、変動すると筋がやられます。
また、仙腸関節には沢田流小腸兪があります。
肝が変動すると子午陰陽関係にある小腸に影響し、小腸の兪穴である小腸兪が脆弱します。
肝が旺気する起床時や何かのきっかけで仙腸関節が亜脱臼します。
肝風内動で小腸兪が動揺したとも言えます。

また経絡治療では、陰経を整脉力豊かに補えると体内に潜んでいた邪が所定の経絡に浮いてきます。
多くは主訴に関連する陽経に浮いてきてこれを脉状と触覚所見を捉えて的確に処置すれば症状がスッキリと取れますが、通常腰痛の場合であれば、膀胱経や胆経に浮いてきそうなものですが本症例では胃経に出ています。
飽食の時代の特徴です。
脾胃に負担がかかっていて、出るべき経に邪が出ないことが多いです。
これも肝鬱があるために食べ過ぎるのです。
食べることでストレスを発散しています。
脾胃の変動が多いわけです。
特に脾実は湿痰を形成し癌などに発展していくので見過ごしては行けません。
治療
  • 本治法
病を治するには必ず本を求むとあるように、病因病理を解決することが本質治療です。
経絡治療では本治法とします。

肝鬱気滞によって生じた肝火が、
  1. 肝陰肝血を焼灼したら肝虚証。
  2. 腎精を焼灼したら腎虚証か75難型肺虚肝実証。
  3. 肺を衝いたら69難型肺虚肝実証。
  4. 同じ中焦にある脾に横逆したら脾虚肝実証。
  5. 心血を焼灼したら心虚証。
証に従い五臓を原とする主たる変動経絡の虚実を弁え補瀉調整し生命力を強化します。
  • 補助療法
奇経治療がよく効きます。
原則として病症を勘案して奇経腹診で診察診断しますが、経験的に、
  1. 前屈、側屈、回旋で痛むのは陽維脉
  2. 後屈で痛むのは陰蹻脉。
  3. 動作痛なく腰下肢が痛むものには督脉と帯脉が的中することが多いです。
また、治療はもちろん、患者さんのセルフケアに使えます。
  1. 都合がつかない。
  2. 遠方である。
  3. 経済的理由。
などの事情により頻繁に治療に通えない方にはツボを卸して自宅で奇経治療をしてもらいます。
わけも分かってないのに有名穴を指導するより、きちんと診察診断して、効果を確認した上で指示した方がよっぽど親切です。
宮脇奇経治療の即効性と再現性がそれを可能にします。

また僕もそうだったように、初学者を助けてくれます。
駆け出しの頃は一本の鍼の影響力が乏しく本治法で効かすことができませんでした。
かといって患者さんは僕が上手くなるまで待ってくれません。
それでも効果を出さなければならなかったのです。
それを助けてくれたのが宮脇奇経でした。
あの頃の僕の不味い本治法でも、奇経のお陰で何とか来てくれた患者さんを楽にして返すことができました。

今でももちろん使います。
本題からは外れますが、特に癌などの器質的変性をきたした疾患には必ず用います。
今まで効果を確認できたのが、
  1. 虫垂がん 照海-列缺+陥谷-合谷
  2. 肺がん 照海-列缺+陥谷-合谷。
  3. 膵臓がん 内関-公孫+外関。
  4. 肝胆がん 通里-太衝か太衝-通里か内関-公孫に左腕骨を加える。
  5. 腎がん 照海-列缺+陥谷-合谷。
  6. 胃がん 内関-公孫+列缺-照海。
  7. 食道がん 内関-公孫+列缺-照海。
  8. 子宮がん 太衝-通里か公孫-内関+照海-列缺。
  9. 卵巣がん 太衝-通里か陥谷-合谷+照海-列缺。
  10. 脳腫瘍 後谿-申脈+照海-列缺で嚥下傷害が出たら舌診して舌歪する側の内関-公孫か公孫-内関を加える。
  11. 乳がん 照海-列缺+陥谷-合谷。
※忘れてるのもあります。
  • 標治法
  1. 前屈、側屈、回旋痛は患側の股関節横紋の外端(環跳の移動穴)の反応に刺鍼。圧痛硬結がありますが、押さえて痛いということは中が実です。相対的に表面は虚になっています。これを外虚内実とします。表面の虚を補うと中の実が中和され弛みます。陰陽論です。これで取れなければ中の実を瀉します。硬結の頭まで鍼を進めてたら、何もせずに硬結が弛みのを待ちます。硬結が弛みだしたら鍼先がスッと進むのでこれを度として抜き上げ皮膚を離れ間際に鍼口を塞ぎます。中の実を瀉し表面の虚を補うので深瀉浅補とします。
  2. 後屈痛は脊中+腰陽関か上仙の圧痛の強い方に刺鍼します。やはり外虚内実になっているので、先ず表面の虚を補うか、取れなければ深瀉浅補を用います。脊中は左腰が痛ければ左脊際、右腰が痛ければ右脊際に取ります。
標治法はいわゆる局所治療、対症療法で
即効性がありますが、その効果と持続性は本治法の足元にも及びません。
それでも患部の虚実を弁えて補瀉調整すると、その場では患者さんを楽にして帰すことができます。
僕も駆け出しの頃は標治法ばっかりでした。
お陰でレパートリーは沢山あります。

初学者の方は早く標治法祭りを卒業できるように、来る日も来る日も鍼の練習に明け暮れて、一本の鍼の影響力を高め、本治法で体を変化させることができるように腕を磨いてください。
患者の気血を思いのままにに動かせるようになると臨床がもっと楽に楽しくなります。
初動
災害が発生します。
DMAT(災害派遣医療チーム)が被災地に入り、多数の重症患者が発生した際に、平時の救急医療レベルを提供するため、被災地の外に搬送する、広域医療搬送など、機動性、専門性を生かした多岐にわたる医療的支援を行います。

構成員は、医師、看護師、業務調整員(救急救命士・薬剤師・臨床工学技士・臨床検査技師・理学療法士・作業療法士・放射線技師・社会福祉士・コメディカル・事務員等)です。
災害支援鍼灸ボランティア
避難所が開設されます。
鍼灸師による医療支援が始まります。
対象となるのは被災者と支援者です。
被災者の不定愁訴の治療、生活不活発病の予防、支援者の疲労除去を行います。
先のDMAT(災害派遣医療チーム)と協力して、(公社)日本鍼灸師会、(公社)全日本鍼灸マッサージ師会の会員で構成される災害支援鍼灸師合同チームが被災地に開設された避難所に赴き鍼灸ボランティアを行う体制が採られています。
災害支援鍼灸ボランティアの意義
  • 被災者とそれを支える支援者の心身のケア
  • 国民への普及啓発
  • 鍼灸師の学術の向上
特に被災者とそれを支える支援者の心身のケアはとても意義があります。
日中、地震であれば壊れた自宅の、水害であれば泥のかき出しや流木の撤去作業に出られます。
そういった作業で負った疼痛や持病の悪化による体調不良をケアすることで、明日また元気に作業に向かえます。
お手伝いするボランティアや避難所を運営する自治体の職員も疲労困憊です。
このような支援する人たちをケアすることで引き続き被災者を支援することができます。
被災者と支援者の心身をケアすることで復旧作業が進みます。
復旧作業を滞りなく進めるためには被災者と支援者が健康でなければなりません。
これを担うのが災害支援鍼灸ボランティアです。
復興のそばに鍼灸の力とされを担う鍼灸師がいる。
これほど意義のある普及啓発はありません。
生活不活発病

多職種連携
避難所では多職種が支援を行います。
例えば栄養士ー
避難者に糖尿病患者がいた場合、その栄養指導を行います。
あるいは理学療法師ー
生活不活発病を予防するために、体操などの運動を啓発します。

多職種の連携が大切です。
大規模災害発生時の多種多様な状況に適切に対応できる技術・知識を有する医療技術者の育成を図っているのがJIMTEF 災害医療研修です。
研修会を構成するメンバーは、
☑一般社団法人 日本臨床衛生検査技師会
☑一般社団法人 日本病院薬剤師会
☑公益社団法人 日本理学療法士協会
☑一般社団法人 日本作業療法士協会
☑公益社団法人 日本栄養士会
☑公益社団法人 日本視能訓練士協会
☑公益社団法人 日本歯科技工士会
☑公益社団法人 日本柔道整復師会
☑公益社団法人 日本歯科衛生士会
☑公益社団法人 日本臨床工学技士会
☑公益社団法人 全日本鍼灸マッサージ師
☑公益社団法人 日本あん摩マッサージ指圧師会
☑公益社団法人 日本鍼灸師会
☑日本製薬工業協
☑一般社団法人 日本医療機器産業連合会
☑一般社団法人 日本義肢装具士協会
☑特定非営利活動法人 診療放射線技師国際協力協会
☑一般社団法人 日本言語聴覚士協会
☑公益社団法人 日本介護福祉士会
☑公益社団法人 日本医療社会福祉協会
☑一般社団法人 日本臨床心理士会
(加盟順)
から専門職が参加し、災害医療に必要な技術と知識を学び、交流します。

災害支援鍼灸ボランティアの課題
被災県の鍼灸師会、鍼灸マッサージ師会に対策本部が置かれ、合同チームが鍼灸ボランティアを行います。
あるいは被災状況により近隣の県師会がその任を負います。
どちらにしても、それぞれの日常があります。
臨床があります。
その空き時間にあるいは仕事を終えてから活動を行います。
休む暇がありません。
マンパワーの不足です。
大都会の師会ならまだしも、地方で災害が発生した場合はより顕著になります。
地元の先生方の負担を減らすために全国からの応援が必要になります。
そうして全国から応援に駆けつけた鍼灸師がスムーズに避難所に赴き活動を行うためには、県と師会が防災協定を結ぶ必要があります。
現在、防災協定を締結しているのは岡山県と滋賀県だけです。

大規模災害に備え各地で防災協定の締結が急がれます。
(公社)日本鍼灸師会全国大会で詳しく学ぶことができます。
最後に、岡山、広島、愛媛などで災害支援鍼灸ボランティアに従事されている先生方、どうぞご自愛くださいませ。
目次
  1. 妊孕力を高める奇経治療🌟
  2. 妊孕力を高めるお腹のツボ🌟
  3. 妊孕力を高める足のツボ🌟
  4. 妊孕力を高める背中のツボ🌟
  5. 証と予後🌟
  6. 男性不妊に対する精子の数を増やし活動率を向上させる治療法🌟
  7. 岡本一抱に学ぶ東洋医学における発生学🌟🌟🌟
妊孕力を高める奇経治療🌟
  • 右照海-左列缺+右太衝-右通里に主穴に5壮、従穴に3壮知熱灸。

  • 原疾患がある場合
  1. 子宮筋腫 照海(患側)-列缺(健側)+太衝(患側)-通里(患側)or公孫(患側)-内関(患側)。
  2. 卵巣嚢腫 照海(患側)-列缺(健側)+太衝(患側)-通里(患側)or陥谷(患側)-合谷(患側)
※奇経の鑑別はテスターを貼って下腹部の反応が緩む方を取る。

  • セルフケア 自宅でドライヤー灸&金銀粒貼付。
照海
列缺
太衝
通里
公孫
内関
陥谷
合谷

妊孕力を高めるお腹のツボ🌟
  • 中条流4点と中極に知熱灸3壮。
  • 無月経、無排卵があれば石門に上向きに皮内鍼を貼付。※毎回張り替える。
  • セルフケア 中条流と中極にドライヤー灸各3壮。
中条流4点の取り方
①患者の口角~口角の長さを布メジャーで測る。
②その長さの半分の長さを1辺とする正三角形を紙とサシとコンパスとハサミを使って作る。
③正三角形の頂点を患者の臍の下のへりに当て底辺の両角に印を付ける。これが1、2点。
④次に最初に測った長辺を患者の臍の下のへりから垂らして仮点をつける。
⑤その仮点に正三角形の頂点を当て底辺の両角に印を付ける。これが3、4点。
中極、石門。
妊孕力を高める足のツボ🌟
  • 蠡溝、三陰交、中封、至陰に知熱灸。左右を比べて圧痛の強い側に5壮、反対側に3壮、左右差がなければ3壮ずつ。
  • セルフケア 自宅でドライヤー灸。
妊孕力を高める背中のツボ🌟
  • 腎兪、大腸兪に知熱灸。左右を比べて圧痛の強い側に5壮、反対側に3壮、左右差がなければ3壮ずつ。
  • 志室の下方の反応点。左右を比べて圧痛の強い側だけに知熱灸3壮。
  • セルフケア 自宅でドライヤー灸。背中なのでご主人にやってもらう。
証と予後
体質が肝虚になると妊娠します。
だから酸っぱいものがほしくなります。

腎虚から治療することがほとんどです。
だいたい1年~1年半で肝虚に変わります。

肺虚からスタートする場合はさらに年月を要します。

脾虚からスタートする場合はさらにさらに年月を要します。

心虚からスタートする場合は3~5年を要します。

肺虚以降の患者さんは安請け合いしてはいけません。

自分の腕と相談して、患者さんにきちんと説明して納得の上で引き受けるか否かを判断してください。

肝虚体質からどれだけ離れているかで予後が変わります。
離れれば離れるだけ妊孕力が乏しいと考えてください。
妊孕力が乏しいと生殖補助医療にトライしても着床しにくいです。
妊孕力が充足して始めて着床します。

逆にすでに肝虚からスタートする場合はわりかし早いことが多いです。
男性不妊に対する精子の数を増やし活動率を向上させる治療法🌟
  • 右照海-左列缺+右太衝-右通里。
  • 中条流4点+中極。
  • 三陰交、中封、至陰。
  • 腎兪、大腸兪。
  • 志室 圧痛の強い側に取る。
  • 勃起不全があれば、第11胸椎~第3腰椎督脉上と仙椎の督脉上の圧痛全てに知熱灸3壮ずつ。
  • セルフケア
  1. 上記のツボにドライヤー灸。奇経にはドライヤー灸&金銀粒貼付。
  2. お風呂で決して痛くないように睾丸を揉む。
  • 証 肺虚からスタートして腎虚に変わるか腎虚からスタートして肺虚に変わることが多い。
岡本一抱に学ぶ東洋医学における発生学🌟🌟🌟
中世の名医、岡本一抱は医学三蔵弁解(伴尚志 現代語約)で次のように述べています。
  • そもそも万物はさまざまに変化するとは言っても、その出所は天地の造化の一気に過ぎません。造化とは何のことを言うのでしょうか?陽気が降り陰精が昇るという陰陽昇降の一気を造化とします。ですから人の心陽は降り腎陰は昇るわけです。その心腎陰陽昇降の交わる一気は、中焦胃の腑にあり、これを名付けて胃の気とし、後天の元気とします。宇宙にはたくさんの万物がありますけれども、この気の交わりがなければ生育することはできません。人身もまたこの胃の気によらなければ精神血気を養い生を保つことはできないものです。
  • 天地の開闢(かいびゃく)以来、人々が連綿と命脉を絶つことなく来ている理由は男女の道によるものです。その精が至るということ気が交感するということは、心腎両臓によるところのものです。また後天の水穀を受けてその精神を養う大本は胃の気にあります。であれば、諸々の臓腑血気筋骨といった全身は心腎胃の三蔵から生ずるものです。まことに医家のもっとも要とすべきところであり、人命の根源であるということがよく理解できるでしょう。
  • そもそも医を学ぼうとするのであれば、先天の五臓の生じる本および自身の胎がどこから来たものなのかということをよく理解しておかなければなりません。
下焦蔵精
  • 万物においてその形が生じる始めは、天一の真水が凝集することによります。ですから受胎が生じる始めも、父の精が凝集することによります。腎は下焦に位置し脊の十四椎の両傍に付いてその形はささげのようで、天一の真水の精を蔵畜しています。ですから諸臓の中にあって、腎は生胎の源、人身の根本とするわけです。
  • 右腎命門
相火は龍雷によって波頭が変じた火です。虚空に生じて水湿によって盛んになるものです。天にこの相火がなければ、物を生じることはできません。人にもまたこの相火がなければ生命を保つことはできません。

この火は常に両腎の間に蔵(かく)れて、水源を養い、生気の根となっています。
これを腎間の動気と呼びまた命門の火と呼んでいます。
難経八難に生気の原、五臓六腑の本、十二経脉の根、呼吸の門、三焦の原、守邪の神と名付けられているのもまた、両腎の間の水中の相火のことを言っています。

これを下焦の元気と言い、下原と言い、臍下丹田気海の元気と言います。
腎は精を蔵して水火陰陽の根となるわけです。
その命門の気は男女とも同じ場所にあり、両腎間に含蔵されます。
人の胚胎が生育する道もまたここにあります。
誠に腎は人生の大義が属(あずか)る場所です。
上古より以来、人仁が連綿と続いて絶えていない理由は、ひとえにこの下焦蔵精によるものです。

  • 金生水
腎は骨際から出て骨際に会集します。地中を流れる水の源は深山にあります。水が始めて発する場所、その流れる場所はことごとく岩窟や金石の際から出ていることと同じです。たとえば紙を水に浸してその紙の中から水を出そうとするときは、水に浸した紙を手で堅く縮め絞ることによって、紙の中に含まれている水液を紙の間から流れ出させます。また器の中に水を入れて紙をその中に丸め堅めて入れると、器の中の水液がすべて堅めた紙の中に集まります。このように、水が地中に充満しているとしても、土石の堅固な場所でないと、出ることができず流れることもできず集まって留まることもまたできないものなのです。

同じように腎水も骨の澱む場所から出て、また骨の澱むところに集まります。脊の十四椎は、上下身体の大関要節であり、これより大いなる骨際はありません。ですから腎の水蔵はこの大関節の堅固な骨際に属(つらなり)、父母交接の時にもまた、水精がここから流れて母の子宮に集まり凝ります。その凝る場所の水精はそのまま、その子の腎精となってまた十四椎の大関節に係属していきます。実に腎は骨際の堅固なところから出て、また骨際の堅固なところに集まります。水は金石の堅固なところから出て、また金石の堅固なところに集まるという理と合致します。

  • 腎精蔵
父母が交接し父の一滴の精液母の子宮に凝って胎ができます。その父の精は直接その子の腎精となるものです。
《経脉篇》に、『人の生のはじめはまず精を成します』と述べられています。
であれば、腎が蔵するところの精液は、先天から出て身体に先立つ真陰であるということになります。

けれども先天から稟けるところの精液だけで、後天の谷気の精がそこに加わることがなければ、これが全身に充満し、終わるまで保たれることはできません。
ですから先天の精は後天の精によって養われているということになるわけです。

《上古天真論》に『腎は水を主ります。五臓六腑の精を受けてこれを蔵します。ですから五臓が盛んであればすなわちよく瀉すことができるわけです(射精)。』と述べられています。
このように腎臓の真精は、先天から稟けて後天によって養われていることは明らかなのです。

諸臓諸腑の後天の精液が盛んなときには、先天の精である腎陰を養うことができるので、精が下り瀉す(射精して子供を作る)ことができるわけです。
けれども水穀の精気が中焦から出て直接腎に及ぶわけではありません。
まず諸経津液血脉臓腑を潤した後に再び化して腎水を生じるものです。

  • 溺出下竅
精と小便はともに水気です。
水の性は順下して低いところに流れます。
ですから精と小便とはともに小腹に流れて前陰に出るわけです。

  • 精路
男子の陰茎というものは、後陰より前は一茎で、後は分かれて二股なっていて、脊の十四椎に通じて両腎に連なります。
その泄精の時には、十四椎の腎の位から出て、会陰の分に流れて陰茎に溢れ泄れます。
女子には陰茎はありませんけれども、その泄精が陰戸に溢れる道路においてはことなることはありません。

  • 男女泄精厚薄
男子の泄精は厚くて少なく、女子の泄精は薄くて多く溢れます。
また一会の間に女子の泄精は二三度におよぶことがありますが、男子の泄精はただ一回なのはどうしてでしょうか?

男は陽が勝ち陰液が少ないものです。
少ないので凝って厚くなります。
また女子は経水が下って気が泄れます。
ですから下焦の陰液が凝ることが少なく、その泄精も薄くなるわけです。

  • 房後陰痿
男子の泄精の後、陰茎が柔弱になるのはどうしてでしょうか?

これは陰陽互根の道です。
陰精が一度泄れると、中に根ざしている陽気が脱けます。
そのため柔弱になるのです。

陰虚火旺のものの多くは陽事が強く挙がるものです。
このことからも茎が強いということは陽によってなるものです。
けれども陽火が甚だ盛んなものは、反って茎痿することがあるのは、相火がその宗筋を緩弱ならしめるためです。

  • 父精生胎
人身が胚胎するということは、一滴の精液が子宮に凝って生るものです。
その胎は、男の精によるものであって、女の精は胎となることはできません。
男女が交接している間は、女子の感気が専らであって、子宮の門戸が開発された時に男の前陰が深く至って子宮の中に直接射すれば、精気がよく子宮に納められて胎を生じます。

女の精が一度精室を出て陰戸に湧溢しているわけですから、どうして再び自分の子宮に帰り入ることがあるでしょうか。
もし再び自己の子宮に帰り入ることがあったとしても、その精気は怯弱で胎をなす勢いはありえません。

《易》に『男女の精をまぐあわせる』とあるのは、男女の感気を指して言っているのであって、陰精の意味ではありません。
人身が胚胎する元が男精が原因であるという理由は、乾元が資て(贈って)始まり、坤元が資て(もらって)成るということです。
乾は父、坤は母です。
乾に始まると言い、坤に成ると言います。
これもまた父の精に原因があるとみるべきです。
たとえば草木のようなものは、必ず種があって地に施されます。
その始まるところは種にあり、その成るところは地に養われるところにあります。
その種とは父の精であり、その地とは女子の子宮です。

人身も万物の道も、天陽が施して地陰に成るものです。
ですから胚胎の始まりの資(たまわり)て生ずるところは、父の精だけです。
人の習俗として氏を継ぐものは、母の氏に従うのではなく、父家の氏を継ぐということも、またこのことによるわけです。

  • 十月留胎
男子の一滴の精液が女子の子宮の中に入ると、何がその精を十月の間止め養い、胎を成育させるのでしょうか。
男の精が子宮に入ると、女子の経血はすぐ止まって、その精胎を養います。
ですから経血が止まっている間は、交接しても妊娠することはありません。
胚胎を子宮に止めて養育するための供俸がないためです。

女子は十四歳で経水が起こり妊娠することができます。
妊娠すると経水が止まります。
もし妊娠中に経水が出る時は胎が敗けたためです。

  • 茎戸
男の精液は下り泄れ、女の精液は上り溢れます。
男の茎垂は下部に垂れ、女の乳房は上部に露われます。
血液が化して乳頭に上り溢れるのは、どうしてなのでしょうか。

そもそも男は陽体であって乾天(けんてん、《易》の乾為天のこと)に対応しています。
女は陰体であって坤地(こんち、《易》の坤為地のこと)に対応しています。
天陽は降り地陰は昇ります。
ですから男の茎垂は低い位置にあって下部に垂れ、泄精もまた下り注ぎます。
これは天気が下降する象です。
女の乳房は上部に露われて乳液も上に溢れ上がります。
これは地気が上昇する象です。
とはいっても男陽女陰の本質は失うことがないため、男の茎垂は外に現れ、女の陰戸子宮は内に蔵れます。
これは陽道は進み陰道は退くという意味であり、自然の理なわけです。

  • 経水
任脉は腹裏を流れて諸陰経を統べています。
督脉は脊裏をめぐって諸陽経を統べています。
衝脉は上下に衝通して諸経の海となっています。
この三脉はともに子宮胞中に起こり会陰に行きます。
ですから子宮は全身の諸経の血液がことごとく注ぐ場所であり、これがついには陰戸に下り泄れるわけです。
これが経水です。

任督衝の三脉は男女ともにあり、男は精室に起こり女は子宮に起こるだけの違いなのですから、男子にもまた経水があってもよいのに女子だけにこれがあるのはどうしてなのでしょうか。

男は天に対応し、女は地に対応しています。
天は無形の気で満ちて、地は有形の湿潤で溢れています。
ですから女子は血液で満ちあふれていて、経水にその余りが下るのです。
たとえば、河 海 流 水は、地に存在し、これが乾いて涸れることがないということと同じです。
あるいは千万人の中には一生経水がないものもいます。
これは陰気が閉塞した女の「変」であり、医書にいうところの暗経です。
閉塞している陰体は資て生ずるところがなく、経水もありませんが子供もできません。
常道ではありません。

  • 子宮
《難経》に、『腎に二つあるのは両方ともが腎なのではありませ。左を腎とし右を命門とします。命門は男子は精を蔵し、女子は胞を懸けます。』と述べられています。
胞とは子宮のことです。
書かれていることは、精液はただ左腎に蔵され、子宮は右腎の内に懸けられているように見えますけれども、越人の意図はそうではありません。
男は精気をもっぱらとし、女子は子宮をもっぱらとします。
それぞれ重んずるところのものを述べているだけのことです。
子宮は右腎のみに懸けられていることがあるでしょうか、精気がどうして左腎にだけ蔵されているわけがあるでしょうか。
精気は常に両腎に蔵され、子宮は両腎の間に懸けられています。

子宮はもともと小さなものです。
胚胎が蔵されると経水が止まり、胎を養って徐々に象形を生成していきます。
その象形が生長するに従って子宮もまた膨張するので、胎を蔵することができます。
出産し終わると、子宮もまた縮小してもとのように収まります。

  • 胞衣
胞衣は俗にエナと呼ばれています。
これはどこから生じたものなのでしょうか。

男子の一滴の精液が、子宮に始めて凝る時は、女子の経水がこのために止まって、その精胎を包養し、男女の象形を生じます。
胞衣や男の精がその子宮に止まっている
間、胎息が始まるに従って、徐々に上に先に一片の浮皮を生じます。
これを胞衣と呼んでいるわけです。
たとえば膏を温めていくと、表面に浮皮が張ってくるようなものです。
人の形ができる前です。
ですから児の頭にこれを戴くわけです。

また児の母の腹には、胞衣から臍に連なる一筋のものがあります。
これを臍帯と言います。
母の水穀血液の濁気は胞衣で防ぎ、その清精の気は臍帯を伝わって胎を養っているわけです。

  • 胎中留血非瘀血
懐胎している十月の間の留血は、胎を養うための供えであって無用の畜血ではありません。
産後は養うべき胎がなくなっていますので、留血もまた無用になります。
無用のものとなっていますから瘀血です。
妊婦の経水が閉じている十ヶ月の間は瘀血ではありません。
産後の留血はすべて瘀血とします。

産前の漏血は恐れるべきものであり、産後に漏血が尽きなければ大病となるというのも、この理由によります。

  • 経水非気滞瘀血
婦人の毎月の経水は、全身を順流している有余の血液が子宮に流れ集まって下るものです。

男は天に象る気道です。
女は地に象る潤道です。
たとえば地中に常に河 海 水 流の溢湧しているように、婦人の血液は有余して経水に泄れ下ります。
地における河 海 水 流が溢湧することが、どうして濁悪の水であると言えるでしょう。

  • 子門
子宮の下口はいつも閉塞しています。
経水が通じる時であっても、その下口は閉じていて開いてはいないものです。
ただ身体の動作に従って子宮の中の血液が徐々にその下口の閉塞している間隙から泄れ溜まって、経水として下ります。

経水が下っている間は交会があったとしても妊娠しない理由は、月経が流れ下る勢いが強いために男精を受け止めることができないためです。

子宮の下口はいつも閉塞していますけれども、交会の間や感気が甚だしいときは、子宮の下口も感気に乗じて自然に開きます。
この時、もし男精がその子宮に射れば、開いた子門もまたもとのように閉塞して、月経が止まり精を封じ包んで養い、胎を育てていきます。
八九月から十一二月まで、その出産に遅速がある理由は、草木の果実が時期やその質の剛柔によって、早く熟して落ちるものがあり、また遅く熟して落ちるものがあるのと同じことです。
父の精や母の血の虚実や、天気自然の運行によって、出産に遅速があるだけのことです。

けれども十月保たずに出産する場合は吉兆ではありません。
母の血の養育を充分に受けてその子が健やかであれば、出産もまた安全なものです。

  • 胎向母
母胎内にある児は、母の背に向かって相対しているものです。

乳汁は水穀の液です。
もし母の腹で乳液を吸うようなことがあるならば、その子は母の腹の中で二便をすることになります。
もし二便をしているなら、母の水道にその子の大便も混じって出てこなければなりません。
けれども古今これまで母の水道に子の大便が漏れているということを聞いたことはありません。
子が産まれ出た後は、すぐに黒便をして糞のようなものを出します。
俗にいうカニババです。
これは母の腹の中で飲食したものが出ているわけではなく、胎育されている十月の間に蓄った、臓腑の中の穢濁を下し出したものであって、飲食をしてできた大便ではありません。

であれば、胎孕中はどうやってその児は養育されているのでしょうか。
ただ母の血気水穀の精によって、臍帯を通じて養われているのです。
たとえば瓜が蔓(つる)で養われているようなものです。
根と瓜との間は遠く離れていますけれども、細い蔓を伝わって養われています。
その精力が通いさえすれば養われるわけです。
植物は無情ですから、その果実を養う際に蔓で隔てられていても育てることができます。
人は万物の霊であり有情の最たるものですけれども、胎中の十月の間は無情で草木と異なることはありません。
ですから臍帯で精力を外から通じさせてこれを養っているわけです。
産後は九竅が自然に開いて有情の人となるため、乳哺飲食して内からこれを養います。
内から養うと、二便が必ず出るものです。
児が胎孕中に乳を吸わないことはこのことからも明らかです。


  • 腹婦採豆


母の腹の中で飲乳してはいないわけですけれども、妊娠して背を伸ばして高いところにあるものを取ろうとすると、腹の皮が引っ張って急迫し、胎息を動揺させてしまうことがあります。

身を屈めて腹皮が緩むようにしていると、胎は安静を保つことができるわけです。

ですから、妊婦が豆を採って身を屈めるようにするとよいということは、養生家の法にかなっているということになるわけです。


  • 雙胎

雙胎(双子)は、一晩に二回の会合があったり、一会の間に男が精を二回泄らしたりします。

すると、子宮はまた開いて男の精を二回納れることになります。

交会の間子宮が開き、男の精がその子宮に入るとすぐに子門が閉塞して再び開くことがないというのが婦人の常道です。

ですが、子宮がまた開いて男精もまた再び納まりますから、二度の精を蔵し留めることとなり、雙胎ができるわけです。


けれども妊娠する子宮は一つです。

雙胎あるいは三胎を孕んだとしても、子宮に二つはありません。

一つの子宮であるいは二胎あるいは三胎を蔵するわけです。

これらはすべて常道ではないものです。


雙胎を産んだ場合にその兄弟を決める際、先に産まれたものを弟とし、後に産まれたものを兄と世俗ではします。

納得のできることです。

始めて会した精胎は子宮の中の奥に胞され、後に入った精胎は子宮の前に胞されます。

ですからその前のものが先に産まれて奥のものは次に産まれるわけです。

このため、第一産を弟とし、第二産を兄とするのはもことに理のあることなのです。


  • 産十月

婦人の妊娠期間が十ヶ月なのはどうしてでしょうか。

九は黄鐘で数の極みです。

ですから九が終わって十月で産むわけです。

自然の理です。


  • 乳汁

出産後は乳汁が通じます。

乳汁が出ている間は、経水が必ず止まって下らないこともまた自然の理です。

乳汁が出ている間に経水が下るものがためにありますけれども、このようなものは「変」に属し常道ではありません。


上に通じる乳汁も下に泄れる経水も、ともに血液が化したものであって、中焦における水穀の精微の気から生じているものです。

経水が赤色で乳液が白色なのは、赤い皿の水は赤く白粉の水は白いようなもので、その注ぐ部位に従って色が異なるわけです。

中焦における水穀の精液から発しているわけですけれども、経絡に注ぐものは化して営となり赤色であり、上焦の肺分に注ぐものは、金の気に化せられて自然に白色になるわけです。


乳汁が出ている間は経水が止まって下らないのは、下部に達するべき精液が上部に溢れ出ているためです。

これは自然の理であり、人身が行うことのできることではありません。


また、すでに出産している夫人の乳汁が必ず出るのは、天がこれを生じてこれを養うという自然の道です。

天が万物を生じる際には、必ずこれを養うものを供えます。

小児が産まれてその歯がまだ生えずその臓腑がまだ充実していないうちは、大人が食べる穀味でこれを直接養うことはできません。

そのため、母の血液を化して乳汁にし、泄らしてこれを吸わせて養うわけです。

天が雨露を降して万物を潤養するということと同じことです。

すべては天地自然の仁に出ているものなのです。


  • 男女受胎

男女の胎を生じることについては(産み分け)古くからさまざまな議論があって、統一された結論は出ていません。

陰陽平にして物というものは生じます。

陰陽の偏勝がありながら胎息を生じることはありえません。

ただ父母の交会の間、陰陽感動の気にしたがってそうなるのです。

あらかじめその理を測り知ることはできません。

たとえば草木は五葉に生じあるいは三葉に生じあるいは赤い花白い花の異類を生じますが、どうしてかはわからないということと同じことです。

ともに生物の自然ということになります。


男女交会の時に、父の一滴の真精が妙凝して胎を受ける際、自然に天地陰陽の賦するところがあって男女の胎を始めて分けます。

男女の胎を生じるのは天地自然の妙道にあり、人がなすところではないわけですから、その理もまた人のよく測り知ることのできないところのものです。

胎がそのように生じる理由を測り知ることができるなれば、人々が思い通りに子を生じることもできるはずです。

男女の受胎は自然に起こることであって、人智の及ぶところではないというのはすなわち、反ってその理を深く理解しているものです。

男女の胎を生ずるのは、父母から直接生じているとは思ってはいけません。

天地陰陽の気を父母に借りてこれを生じるのです。

その天地陰陽の中において、陰を主として受けるものは女胎となり、陽を主として受けるものは男胎となるわけです。


  • 気化形化

婦人が妊娠して第一月から男女の形質が具わるわけではありません。

妊娠して一月は白露のようで、二月は桃花のようで、三月で始めてその兆しが徐々に生じてきます。

鶏卵のように始めから形があるわけではありません。

月日を積んで徐々にその形を生じます。


始めに生ずる胎形は、五臓においては腎です。

形においては頭鼻です。

ここから次第に諸蔵全身がしっかり具わります。

このため、ものの長を頭と呼び、ものの始めを鼻祖と呼んでいるわけです。


ある人が、太極が分かれて天地が位置し、五行が備わって万物が始めて生じるには、必ずその種があってそうなるのでしょうか違うのでしょうか?と聞きました。


答えて言いました。

種があります。

気が種となるものがあり、形が種となるものがあります。

天地が開き、始めてものが生じるときには、すべて気を種とします。

これを気化と名付けています。

万物がすでに生じた後、物から物を生じるときは、その形気を交え合わせてこれを種とします。

毎年決まった季節に生じるもののように、物から物を生じるものを、形化と名付けています。

たとえば、箱の中に自然に小虫が生まれでるものは、気を種として生じているので気化です。

現代において考えると、松や柏を生じる土地があり、竹類をよく生じる土地ががありますが、これらはみなその土に気化の種があるためです。

そもそも草木虫魚に至るまで、形化の種なくして自然に生ずる物はことごとく気を種として自然に化生したもので、これは気化です。

すでに一男一女が化生されていれば、これが互いに形気を交合し、人から人を生じていますから形化です。

箱の中において、自然に小虫が始めて生じた後、その虫から虫を生じていくつにもなるものは形化です。

開闢の始め、人身や万物が始めて生じたものは気化であって、人が人を、物が物を生々して尽きないものは、形化となるわけです。


  • 子宮有鑄

万物の形質というものは、春温を得て生じ、冬寒を得て尽きるものです。

その冬季に失って春季に生じる形質は、毎年すべて同じで少しも違いがありません。


思うに、冬季その形が消失してその種もなくなっているならば、来春に生じるものの形もまた異なっているのではないでしょうか。

けれども毎春同じ形に生じて変わらないのはどうしてなのでしょうか。


答えて言いました。

その種は消尽するとしても、これを生じるところの鑄(いがた)はまだそこにあります。

ですからその形が同じで差がないわけです。

たとえば。金を溶かして一つの鑄に入れると、何回鑄出(ちゅうしゅつ)してもその形は同じで差がないようなものです。

子宮は鑄です。

父精は溶かす金汁です。

鑄出された形は子です。

一滴の父精が母の子宮に入り、鑄出する子宮の鑄に限界があるために、諸婦人が生じるところの人の胎はすべて同じで、その形に差がないわけです。


  • 悪阻

妊婦が患う悪阻の理由は何でしょうか。


妊娠している婦人は、その子宮の中にいつもは存在していない男精を留めています。

そして血海の精血は浮き溢れて、内の気はいつもと異なりざわついています。

このため悪阻を患うわけです。


血海の精血が浮いて逆すると吐逆します。

精胎の気が緩んでいるときはそれを収斂させようとして酸を好みます。

精胎の気が急なときは、それを散じようとして辛を好みます。

けれども日を積み月を重ねていくと、子宮の精血が定まり、悪阻もまたなくなります。

治療する必要は必ずしもありません。


  • 男女変声

心気は降り腎気は上り、心腎両臓の気が上下に張って陰陽が平となります。

ですから、男女まだ会さずに精をまったく泄らしていないうちは、上下の両臓が張り合っていますので、その声音を出すと清く高く響きます。

けれども始めて交会して精を泄らすと下焦が疎通して、上下に張り合っていたものに偏勝がおこります。

そのため音声が濁悪となるわけです。

陰虚虚労の人はその声が嗄れて出にくくなるという理もまた同じことで、腎水が耗虚して、心腎上下の張り合いが失われるためです。

鼓の上下の皮がよく張り合っていればその響きは清く高いですが、もし一方の皮が破れているものを拍つと、その皮の破れから泄れて音の響きも清らかではなくなるようなものです。


だいたい以上の深い論理に達した上で蔵象を考えるならば、人身において貴ぶべきものは、下焦蔵精にあることがわかります。

ここが治療の枢であり、医学の要、素難の奥旨です。

三焦心包有名無形論

~《難経》は、句句すべてが理であり字字すべてが法です。

中でもこの二十五難は医学にもっとも切要なものであり、その義も新奥です。~


  • 三焦は無形

三焦無形の理については、まず《八難》の『諸々の十二経脉はすべて、生気の原に係ります。いわゆる生気の原とは、十二経根本のことで、腎間の動気のことを言います。これは五臓六腑の本であり、十二経脉の根であり、呼吸の門であり、三焦の原です。』と述べられているところと、《六十六難》の『臍下腎間の動気は、人の生命であり、十二経の根本です。ですからこれを名付けて原と呼んでいるわけです。三焦は原気の別使であり、三気を通行させて五臓六腑を経歴することを主ります。』と述べられていることから推し測るべきでしょう。


腎間の動気というのは両腎の間に根ざしているひとつの陽気です。

これは私も人も資(もと)として生じた先天の元気です。

天地の間では、冬至における来復の一陽が地下に根ざし、これがすべての元気となって四季や万物を造化していきます。

草木のようなものもその元気は根にあり、これは枝葉や果実に化していきます。

人身における元気も、父から受けて臍下腎間に存在し、全身の生化の根本となります。

これを名付けて原気と呼んでいるわけです。

三焦はその原気の別使です。


別使とは何なのでしょうか。

臍下腎間の陽気はそこにいるままでは生気の化をなすことができません。

常に発して上下全身に往来運行して働かなければならないのです。

その働くところを別使と呼んでいます。

これが上下に往来通行して働くからこそ、血気が五十回もめぐり、一万三千百息の呼吸も出入し、水穀を飲食し、消化もし、大小便の通利もあるわけです。

いやしくもこの原気の往来通行の働きに大過不及 遅速渋滞があるときは、諸病が必ずここから生じることとなります。

臍下腎間の陽気が上下全身に運行しているこの気の働きを三焦と呼んでいるわけです。


ということは、心包も三焦も同じようなものということになるわけですけれども、陽気が出てくる位置が異なります。

膻中心の宮から出て臓腑全身に通じている陽気の徳用を心主とし、臍下腎間から出て上下全身を通行する陽気の働きを三焦と呼んでいるのです。

たとえば、行灯(あんどん)の内を三段に張り分けて、その下の一重に火をともすと、その光が三重の行灯全体に満ちていきます。

その本は一重の所に立っている一つの灯火から出た光です。

その灯火を臍下腎間の動気とします。

三重の方の行灯全体に満ちている光を三焦とします。

このことから三焦が無形であって腎間の動気の別使であるということを工夫してください。


三焦は下部の陽気が別れて働くものだということを理解していれば、肺は相傅の官で治節が出るということで、肺が全身の気化の総てを司り、肺から全身それぞれに気を配り布くということも明らかとなります。

どうしてかという、全身の陽気の化はもともと腎間にあるわけですけれども、その気が燻蒸して上るところは上の肺です。

香炉の煙がもともとは炉の中の火から出ていても、立ち上って上の蓋を伝ってそこから香気が部屋中に満ちていくようなものです。

腎間の陽気は炉の中の火です。

その煙は三焦の気です。

その蓋は肺です。

ですから肺は気を統べ、ここからすべての気化を全身に配り布くものだということが明白になるわけです。

三焦を形があるものだと見るとこのような理においても昧(くら)くなってしまいます。


天に形があるのかというと、形はないものです。

ただ一つの気が治水万物を囲んでいます。

天文学者などが天は鶏卵のようだというのは誤りです。

天地の間は一つの気が満ちて囲んでいるもので、これが天地の三焦です。

天地に充満している三焦の気と人身に充満している三焦の気とが一つになっているため、この小さな耳目だけで広大な見聞きすることができるわけです。


《三十一難》に『三焦は水穀の道路で、気の終始するところです』と述べられていますがこれも、全身に通行して充満している気を三焦としているためです。

三焦の気が向(みはり)に出て飲食を通じさせ、これを消化し、これを排泄させているようなものです。


《八難》では先天の三焦のことを述べ、《三十一難》では後天の三焦のことを述べ、《六十六難》では原気の別使は三焦の本根であることを明らかにしています。

今現在において、水穀によって生じた気は後天の元気であり、腎間の動気の別使である三焦の気は先天の元気です。

先天と後天とが一つになって全身を養っているわけです。

ですから《刺節真邪篇》に、『真気とは、天から受けた気と穀気とが併さって身体を充たしているものです』と述べられているわけです。


三焦は無形の元気です。

他の臓腑のように形があってひとつづつ囲いがあるようなものではありません。

その気の用(機能)は広大で、上下全身毫毛の先までもこれが及んでいないところはありません。

ですから他にこれと同輩のものはありません。

ただ三焦だけです。

ですから《霊枢・本輸篇》では、三焦を弧の腑とし、《三十八難》では外の府としているのです。

他にこれと同類のものがないためです。

それなのに三焦を有形であると見てしまうと、医道に大きな相違が生ずることとなります。


三焦は元気であるとだけ心得ておけば、元気には形がないため無形の理についても自然に理解できます。

ただ人身において要となるものは三焦です。

ですから《六十六難》では『原というのは三焦の尊号です』と述べられているのです。

三焦が正常であれば全身も正常で平安です。

三焦が和していなければ諸邪がこれを犯し諸病はこれによって生じます。

ですからこれを名付けて守邪の神と呼んでいるわけです。


医道は三焦を眼目とします。

病因を察し治療を行うに際してすべて、三焦ひとつを相手にしていることです。

越人は深く医道の奥義に達して心主 三焦が無形であるということを明らかにしました。

後学を導き医源を指南する恵みの実に大きなこと、これを過ぎるものがないほどです。

けれども後人はこれを反って有形として医の教えを昏(くら)くしてしまいました。

後学を惑わさせる失(とが)はこれより大きなものはありません。

有形の説に従う学者は必ず人を殺すこととなるでしょう。

慎み恐れなければなりません。


諸経絡はすべて三焦に通じるものです。

このため《八難》に『諸十二経脉はすべて生気の原と係ります。』と述べられており、《十六難》では『臍下腎間の動気は、十二経脉の根本です』と述べられているわけです。


三焦は諸臓 諸腑 諸経 諸絡を通行して全身のどこにもこの気を受けないところはありません。

上焦の宗気 中焦の営気 下焦の衛気の三気はすべて三焦の気にしたがって運行しているのです。

ですから《三十一難》に『三焦は気の終始するところ』と述べられているのです。


腎間動気論

《八難》には『寸口の脉が平であるのに死ぬ者がいるのはどうしてなのでしょうか。諸十二経脉は全て生気の原に係ります、いわゆる生気の原とは、十二経の根本のことを言い、腎間の動気のことを言います。これが五臓六腑の本であり、十二経脉の根であり、呼吸の門三焦の原です。一には守邪の神とも名付けられています。ですから、気は人の根本なのです。この根が絶するときはすなわち茎葉も枯れます。寸口の脉が平であるのに死ぬものがあるのは、生気が独り内で絶するからです。』と述べられています。

《一難》で寸口を取って死生吉凶を決断すると述べられているわけですけれども、寸口の脉は平でことに死変の徴候が現れていないのに死ぬ人がいるのはどういう道理なのでしょうかと聞いているわけです。


『諸経脉は全て生気の原に係ります』


寸口の脉は手の太陰肺経の動です。

総じて肺経に限らず諸十二経脉はすべて生気の原に係りつながりがあります。

寸口の脉が平であるのに死ぬ者は、この生気の原が絶えたことがその理由です。


『いわゆる生気の源とは、十二経の根本のことを言い、腎間の動気のことを言います。』


この生気の源とは何のことを言うのかといううと、十二経の根本、腎間の動気のことを言います。


諸経脉は、上昇の宗気 中焦の営気 下焦の衛気の三気が循環するところです。

この三気は三焦によってめぐります。

三焦は腎間の動気の別使です。

ですから諸十二経脉は腎間の動気を根本としています。

天地の間の四季の往来や万物の造化は何によって行われているのかというと、冬至に来復した一陽の気によってなされています。

この坎中の一陽は十二支で言うと子にあたります。人身の生化もまた、両腎の間の水中に含蔵されている一陽の陽気によってなされているものです。


そもそも私や人々が生じるのは、男女の両精が妙合したものなのですけれども、その種となっているものは父の一滴の精だけです。

ですから《霊枢・天年篇》に『母を基とし父を楯とします。』と述べられており、これを註解する者は稼穡(穀物の植え付けと採り入れ)にたとえて、『必ずその地を得て種を施します。地は母です。種は父です。』と述べています。

父の精だけから胞を生じるということは、この言葉からも明確に理解できます。


その父の精は単独では泄れません。

男女が交会して男がその心に感じたとき、膻中が動じて下焦に泄れます。

心陽の気が下焦に移り水中の陽気によって動じるわけです。

その動によって泄精するため、精の中には自らの心腎が貫通した陽気が含蔵されます。

これが妙合して胎を成す際、その神はその子の膻中に存し、その精は子の両腎精となり、含蔵された陽気の根がはその両腎の間に留まり続けて、私たちの生化をなします。

これが腎間の動気です。

実(まこと)に人身の精気のい源そのものではありませんか。

ですから上文ではこれを名付けて生気の原と言い、下文ではこれを五臓六腑の本、十二経脉の根、呼吸の門と述べているわけです。


いやしくもこの腎間の陽気がなければ、五臓六腑も生化することができず、宗気 営気 衛気が十二経脉を循環することができず、呼吸の一万三千五百息も出入することができません。

実に五臓六腑の水源 十二経脉の根元 呼吸の戸なわけです。


  • 腎間の動気

腎間の陽気は常の場合は、ただ水を温める程度のことで、これを探しても見つけることはできません。

これが発動することによって含寓されている陽気があったのだということがわかるのです。

三焦は腎間の原気の別使ですけれども、常の場合は、これを見ることはできません。

発動することによって腎間三焦の陽気があったのだということがわかるのです。

蛍の光が昼間は見えなくとも夜ははっきりと見えるようなようなものです。

また人の目の中は血液だけですけれども、その血液の循環が正常であれば白目の部分はすっきりと白く、一筋の赤みはありません。

もしその血液が少しでも渋滞すると、赤みが必ずあらわれてくるようなものです。

腎間三焦の陽気も、常の場合はわかりません。

動くことによってこれがわかります。

このため陽気とはいわずに動気と言っているわけです。


けれども後世、その動気を候うということを立てる者がありました。

ある者は、足の少陰腎経の内踝の後ろの跟骨の上の太谿穴の動脈でこれを候うとしました。

またある者は、尺脉でこれを候うとしました。

これらの諸説は全て間違いです。

腎間の動気は臍下丹田気海の地に含寓しているものであって、これを探してわかるような気ではありません。

ですから越人は結句で、『生気が独り内に絶します』と述べているのです。

この「内」という字に深い意味があります。

その外候が有り得ないということをこの『内で絶します』という一句を用いて、工夫してください。


  • 守邪の神

『一には守邪の神とも名付けられています』とは。


腎間の陽気が堅固であれば三焦も堅固で、どのような邪もこれを侵すことができません。

諸邪が病を起こすのは、腎間の陽気が堅固ではないためです。

ですからこれを名付けて「守邪の神」と呼んでいるのです。

《評熱病論》に『邪の湊るところは、その気が必ず虚します』と述べられています。

これも腎間三焦の気が行き届かないところには、必ず邪気が湊り侵すために述べられている言葉です。


  • 独り内で絶す

この「独」の字には実に深い意味があります。

生気が内に絶すると、その人はすぐに死ぬはずです。

どうして寸口が平で、まだ死なないのでしょうか。

生気がすでに独り内で絶しているとはいっても、外に穀気からの養いがまだ尽きていないため、しばらくの間は寸口を平に保っていますけれども遂には死絶します。

寸口の脉は後天の胃の気が化したものです。

腎間の動気は先天の生化の源です。

先天がすでに尽きていても後天がまだ尽きてはいないために、寸口が平でしばらくの間生きているわけです。

ですから越人はこの心を「独」「内」の二字に持たせているわけです。

学ぶ者はこの二字を深く工夫してください。


たとえば切り花は、生気が内に絶しているものです。

水に入れれば枯れないのは、寸口の脉が平ということです。

人身が死ぬときは、先天が尽きて後天がついに尽きる場合と、後天が尽きて先天が最後に尽きる場合があり同じではありません。

医者はこれを考えて、死期の早い遅いを測らなければなりません。


  • 腎間の動気は命門の火
右腎命門という言葉は越人が《難経》で始めて述べたものです。
けれども右腎が命門の火であるとは述べていません。
ただ二つある腎の、左を腎とし右を命門とするとだけ述べています。
後人が誤って左腎は水の精、右腎は命門の相火であると言ったのです。

腎間の動気は陽であり火です。
これが人身の生命の根蒂なので、命門の火とも呼ぶべきものです。
けれどもこの火が独り右腎にだけ含蔵されているとすべきではありません。
両腎の精の中に含蔵されていて、常に精を温め化しているのです。

もし腎気が乱れ動ずるときには、この含蔵され精を温めているだけの気が、変化して火炎となります。
たとえば焼酎が火となって燃えるようなものです。
燃えれば火ですけれどもそれが消えればもとの焼酎です。
人の腎精もまた変動するときは火ですけれども治ると本の精を温めるだけの気となります。
どうして左腎が冷水で右腎が陽火であるということがあるでしょうか。
後世、右腎を命門の火であると言ったのは大変な間違いです。

腎は北方の水蔵ではありますけれども、冷水ではありません。
水中に一陽を含蔵しているため、その水精は自然に温暖です。
この温暖を生気の原とし、腎間の動気とし、また命門の火とも言うわけです。
その温暖が大過の場合は、陰虚火動の病となります。
もしその温暖が不足する場合は、下元虚寒の症を病み、桂附の剤でこれを主治することとなります。

あるいは《難経》に腎間の動気とあり、「間」という字にとらわれて両腎の間に挟まれている動気とするのは誤りです。
経に間と述べられているのは中間ということではありません。
左腎にも偏らず右腎にも偏らず、両腎両精の中に自然に含寓されている陽気であることを理解させるために、腎間という字を用いているのです。
中間に挟まれているわけではありません。
五行論
  • 五臓の成立

天地万物はすべて始めは水から生じます。

ですから人身においても、一滴の精が凝ってこの形体を生じます。

精は水です。

水だけであれば陰だけなので形ができることはありません。

ですから精の中には必ず自然に一つの陽気が備わっています。

これがすなわち神です。

天一が水を生じ、地二が火を生じて、水中には早々に火が備わり、水火が離れることがないということが、天然の常理です。

ですから人の体の始めに精が凝るとき、その中には早くも神が備わっているわけです。

精と神という水火が具わっているので、ここから次第に形体が生じ完成されていきます。


けれどもこの精神だけでこれを養う道筋がなければ、精神もついには絶してしまいます。

ですから精の中から血が分かれ神の中から気が分かれ、血気が運行されることによって精神を養う道筋となっているわけです。

たとえば、草木に根があれば必ず枝葉が生じるようなものです。


精神は根であり血気は枝葉です。


この血気が上下に運行している間に、交気の一気が具わります。

天気が下降し地気が上升して、その升降の間の交わる一気があり、これが万物を化育させる元となります。

これと同じように、血気が運行されて升降し交わる一気が、後天の元気となって人の生をなします。


ということは、人身は、精 神 血 気 交気(営)の五気によって生ずるものです。

この五気はそれぞれ蔵されるところがなければなりません。

そこでその五気が蔵されるところを立てて、五臓とします。精は腎に蔵されて、神は心に蔵されて、血は肝に蔵されて、気は肺に蔵されて、交気は脾に蔵されます。

これによって五臓のことは大概は済みました。


  • 五臓の位置

先人は身体の腹中を上下の二段に分けて、精は水ですから下段に置き、神は火ですから上段に置き、血は精の中から分かれた枝であり、気は神の中から分かれた枝ですから、血気は精神の上に置きました。

本は下にあり末は上にあるのが必然の理ですから、血は精の上に置き、気は神の上に置きます。

さて、交気は中の分です。

中は上下の内では下の分ですから、上下二段のうちの下の段の中央の境に置きます。

  • 五臓の陰陽

これに陰陽を立ててみると、精は水陰で下段の陰位にありますから、陰中の陰で太陰です。

神は火陽で上段の陽位にありますから、陽中の陽で太陽です。


血は精の中から分かれたものですけれども、完全な陰ではありません。

どうしてかというと、血は赤色で運行して息むことがないので、陰でありながら陽の用(機能)があるためです。

ですからこれを陰中の陽とし、少陽とします。


気もまた神の中から分かれたものですけれども、完全な陽ではありません。

どうしてかというと、人の息を用いて熱いものを吹くとすぐに冷ますことができますし、息を漆器に吹き付けるとその息のあたるところに露を生じますので、陽でありながら陰の用があるためです。

ですからこれを陽中の陰とし、少陰とします。


交気は中の陰分です。

中は上下二段の内の陰分に属しますから、交気は陰とします。その交気が後天の元気となって、精神血気の四つのものを営(めぐ)るため。至陰とします。

「至」は貴んでこう呼んでいるものです。


このことを《霊枢・九鍼十二原篇》では『心は陽中の太陽です。肺は陽中の少陰です。肝は陰中の少陽です。脾は陰中の至陰です。腎は陰中の太陰です。』と述べられているわけです。


  • 五臓を五行に配す

腎は陰精でありもともと水に属します。

心は神陽でありもともと火に属します。

肺は気を蔵して陽中の少陰ですから金に属します。

肝は血を蔵して陰中の少陽ですから木に属します。

脾は交気を蔵して中央にあり、至陰ですから土に属します。


  • 精神血気営は五臓の根元

往古の聖人は、五臓と陰陽五行について論じられましたが、すべてこの理から推測されているものです。

後人はこれを理解できず、五行を五臓の本としていますが、誤りです。

その原は精神血気営です。

精神血気営があって五臓が生じます。

たとえば鳥がいるので巣ができるようなものです。


五臓五行の属性はもっとも末のことです。

ですから治療を行う場合に五臓五行に拘ると少なからず人を損なうこととなります。

ただこの精神血気営を人身における五臓の根元として、病を察し治療を施すならば、医療において少なからず神妙の効果を上げることができるでしょう。


このように考えていくと、肺は収降の金臓あり上焦に位置して華蓋となっていることも、何ら不思議ではありません。


  • 精神血気体用論

一切のものには必ず体用二つがあります。

体は本であり、用は体から出た外での働きです。

たとえば燈火と光のようなものです。

燈火は体であり光が万方に充ちるのは用です。


精があると、その精が全身に及ぶところの用があり、これを血と呼んでいます。

この血が全身に布き満ちて身体の液となります。


神があると、その神が全身に及ぶところの用があり、これを気と呼んでいます。

この気が全身に布き満ちて身体の温となります。


このようにして気血という用が、身体を養う道筋となって精神を増し続けるわけです。


この気血という用が精神という体を養い、精神という体が気血という用を養い、体用が一致して人身を生化しているいわけです。


たとえば、木の枝葉についた雨露が根を養い、根がその枝葉を養って、根葉一致して生化するようなものです。

実に人身は精神血気営の五者以外にはないものです。

この五者が具足することを、人の胎の成就とします。

であれば、医学の切要とはただこの五者だけにあるわけです。

深く熟考し会得してください。


※伴尚志先生現代誤訳《医学三蔵弁解》《医学切要指南》より一部を抜粋しておりますが、大変に良著ですので、ぜひ書籍をお買い求めいただき深く学ばれてください。

目次
  1. 妊娠初期
  2. つわりが現れ始めたら
  3. つわりが治まったら
  4. その他のマイナートラブル
  5. 予定日の20日前から
  6. 予定日超過・微弱陣痛
  7. 分娩室にて
  8. その他
  9. 治療の注意
  10. おわりに
盟友TakaoNakagawaのアートワーク

妊娠初期
  • 三陰交、中封、至陰。
左右を比べて圧痛の強い側に知熱灸5壮、反対側に3壮、左右差なければ3壮ずつ。
自宅でドライヤー灸5壮-3壮あるいは3壮ずつ。

  • 右照海-左列缺、右太衝-右通里。
主穴に知熱灸5壮、従穴に3壮。
自宅で主穴に金粒、従穴に銀粒を貼付してセルフケア。

※ドライヤー灸のやり方はこちらの記事をご覧ください。
  • 三陰交
縦のラインは内踝の上3寸位のところで、横のラインは脛骨の内側縁で圧痛硬結を探す。

  • 中封
足関節を背屈して浮き出る前脛骨筋腱の付着部と内踝の尖端を結んだ線上にある陥凹部の中の圧痛硬結に取る。

  • 至陰
小指外側爪甲根部の角を去ると、よく見ると1本細い筋が縦に走っていてこの筋を足底側に越えた所が表裏の肌目でここに硬い硬結があり、ここに取る。
分からなければ教科書の標準位置でよい。

  • 照海
内踝の下の陥凹部、内踝と舟状骨を結ぶ腱の後縁の圧痛硬結に取る。
  • 列缺
手関節横紋、母指外転筋の内縁に太淵を取り上に登って橈骨茎状突起を越えた所の陥凹部にある圧痛硬結に取る。
  • 太衝
第1第2中足骨接合部の圧痛硬結に取る。
  • 通里
手関節横紋小指側の外側端の腱の尺側に神門を取り、その1横指上の骨様の圧痛硬結に取る。

つわりが現れ始めたら
  • 三陰交、中封、至陰蠡溝を加える。
同じく左右差があれば5壮-3壮、左右差なければ3壮ずつ。
自宅でドライヤー灸によるセルフケア。


  • 右照海-左列缺、左内関-右公孫に変更して、5壮-3壮、自宅で金銀粒貼付してセルフケア。
  • 蠡溝
脛骨の上、内踝の上5寸とあるが、多少前後してもいいので最も陥凹している圧痛に取る。
  • 内関
手関節横紋から2~3横指上、腱と腱の間を第一内関、腱の尺側を第二内関として、圧痛の強い側に取る。
  • 公孫
中足骨の内側縁に指を押しあて、上に登ると突き当たる前後にある骨様の圧痛硬結に取る。

つわりが治まったら
  • 蠡溝、三陰交、中封、至陰のまま。
5壮-3壮、左右差なければ3壮ずつ。
自宅でドライヤー灸によるセルフケア。

  • 右照海-左列缺、右太衝-右通里に戻す。
5壮-3壮。
自宅で金銀粒貼付してセルフケア。

その他のマイナートラブル
  • 逆子
  • 妊娠高血圧症候群
  • 肩こり
  • 腰痛
なども、蠡溝、三陰交、中封、至陰、右照海-左列缺、右太衝-右通里で予防と治療を兼ねる。
予定日の20日前から
  • 肩井、合谷、三陰交、右至陰尖に変更して下に下がりやすいようする。
知熱灸7壮ずつ。
10日前になったら10壮ずつに増やす。
自宅で同様の壮数ドライヤー灸でセルフケア。
肩井はご主人に指圧してもらうとなおよい。
合谷は自分で暇さえあれば指圧する。
  • 合谷
この場合は母指と示指の付け根、いわゆる沢田流合谷に取る。
  • 右至陰尖
右の小指の尖端に取る。

予定日超過・微弱陣痛
  • 陣痛促進穴
本当の予定日の1週間前になると、背中の督脉上の左脊際、第3胸椎~第5胸椎の間に反応が現れる。
この反応は圧痛でも硬結でもなく、背中に手掌全体を1ミリも浮かさず1ミリも沈めない圧0の重みで軽く起きその手そーっとを引くようにして肌のきめを観るようにすると、微かに示指に触れる非生理的な所見を陣痛促進穴とし、円皮鍼を貼付。
※探すのが難しいので要練習。
この反応が第5胸椎まで降りてきたら2日以内に陣痛が始まる。

陣痛促進穴の高さで予後を判断する。
大椎位の高さだと主治医の下したタイムリミットに間に合わないかもしれないで、そのことを患者さんにきちんと説明して治療をするかどうかを話し合う。

※予定日超過の症例についてはこちらの記事をご覧ください。
分娩室にて
陣痛から陣痛の合間に、肩井と合谷をご主人に指圧してもらうとお産が短くて軽くなる。
陣痛の際は、産科ならお腹に手をそえて、神厥~胎元~命門を意識して気を送る。
助産院なら自由に動けるのでその時の姿勢にあわせて、お腹に手をそえる場合は上記と同じで、背中に手をあてる場合は命門~胎元~神厥を意識して気を送る。
ご主人や家族ができる和痛法です。
その他
  • 胎毒

安産灸はマイナートラブルだけでなく、胎毒の予防と治療を兼ねます。

※胎毒については、こちらの記事をご覧ください。
  • セルフ気功
誰でもできるお手軽気功で免疫を高めてください。
疾病にかかりにくくなります。
ぜひ安産灸と併用してください。

治療の注意
  • 母子手帳の携帯
治療中や治療の行き帰りで破水することがあります。
母子手帳には病院や主治医が記載されています。
その場にいる誰でも連絡が取れるように母子手帳は携帯していただきましょう。

※前期破水の症例についてはこちらの記事をご覧ください。
おわりに
無事にお産を終えられ、母子共に健やかであることをお祈り申し上げます。
大丈夫。
きっと大丈夫。