鍼灸師の経営学

  1. ご縁のある患者さんだけでいい。
  2. 自分を磨き仕入をする。
  3. 治療成績で勝負する。
  4. 自分を大事にしまわりに感謝する。

温故知新
  • 『黄帝内経素問』上古天真論
夫上古聖人之教下也、皆謂之虚邪賊風、避之有時。恬淡虚無、真氣從之、精神内守、病安從來。是以志閑而少欲、心安而不懼、形勞而不倦、氣從以順、各從其欲、皆得所願。故美其食、任其服、樂其俗、高下不相慕、其民故曰朴。是以嗜欲不能勞其目、淫邪不能惑其心、愚智賢不肖不懼於物、故合於道。所以能年皆度百、而動作不衰者、以其徳全不危也。
 
 そもそも大昔の聖人と呼ばれる方々が、下々の人民共をよくよく教育されたのは、すべて次の事柄でござます。人間の生命力を消失させ、体の円滑な動きをそこなういろいろな病の源となる邪風というものは、これを避けることができないわけではありません。その邪風の吹く時を、暦法を按じてちゃんと知り、自ら逃れるようにすればよいのであります。
 およそ、心を静かにして、むやみやたらな欲望をおこさなければ、生の泉である真気はその人の体内を隈なく巡り、身体を正しく運営することができます。このようにして、五臓の精気であり、生命活動の根本である心の神気と腎の精気とが、充実してゆるぐことなく、体内をがっちりと防衛しておりますならば、病を起こさせる外邪など、どこから、どうして侵入することができましょうか?
 ですから、何が何でもやらねばというような、度を超えた気持ちをおこさずにのんびりとして欲望は少なくし心を安泰にして物事に動かされることなく何物も怖れず、また、肉体労働をしてもくたくたに疲れ果てるような無理をしないというようにすれば営気、衛気、ともに順調に体内を運行できるのであります。つまり欲望が少ない人は、心がいつも満足の状態であり得るわけでございます。
 そうなりますと、摂られた食物は、それで、ああ、おいしいなあ、と心に満ち足りますし服装は得られただけの衣服で不足と思わずそれぞれの境遇に甘んじて楽しく暮らし身分の上下の者共が互いにその地位と生活をうらやむことがなければ、当然、上は下をいためることなく、下は上をないがしろにすることもなくその結果として、社会は円満に治まるものであります。そうであれば人民共は真に素朴であることができます。
このような社会でありますと、人民共はどんな楽しみも、その心をまどわすことはできません。
愚かな奴も、智のある者も、賢い人も、つまらぬ連中も、皆、平等に何物もおそれることがございませんので、よく養生の道理にかなうのであります。ですから、大概の者が百歳をこえても老衰しなかったというのは、人間としてのあるべき心得を全うすることができましたので、肉体の方もそれに従って安泰であったというわけでございます。

ということで、聖人の理に則って、鍼灸師の経営学を考えると、
  1. ご縁のある患者さんだけでいい。
  2. 自分を磨き仕入をする。
  3. 治療成績で勝負する。
  4. 自分を大事にしまわりに感謝する。
ということになります。

ご縁のある患者さんだけでいい
業界に目を向ければ「やれ受療率だ」とか、個人に目を向ければ「やれ集客だ」と躍起になっていますが、本来鍼灸院には、ご縁のある患者さんが来ますから、ご縁のある患者さんだけでいいのです。
これが真理です。

そうして来ていただいた患者さんを病苦から救うために、準備をするのです。
準備は、
自分磨きと仕入れです。

自分を磨き仕入をする
東洋医学のお勉強をします。
つきなみですが、『素問』で東洋医学の生理解剖学を修め、『霊枢』で鍼と灸の運用を修め、『難経』で生命活動の根源と治療法則を修め、『傷寒雑病論』で急性病とそれ以外の病気のメカニズムを修め、『十四経発揮』で経穴を修め、さらには後生の医学書で補完します。

自分の体を使って鍼とお灸の練習をします。
自分の体で試してよければ、家族に試します。
家族に試してよければ、初めて患者さんに使えます。
リスクマネジメントです。

そして社会や地域に貢献します。

学と術を磨き、徳をつみます。

鍼灸師の仕入は、最新の医療知識と技術です。
  1. 本を読む→自分に試す→分からなかったらその道の第一人者に教えを乞う→直ぐに自分に試す。
  2. あるいは、勉強会に行って学ぶ→自分に試すでもいいです。
そうしてご縁のあった患者さんを病苦から救えるように懸命に治療します。
毎日がそのための準備です。

また、孫子は、敵を知り、味方を知れば危うからずと言っています。
あらゆる病気を東洋医学に則って、分析し治療法を研究しておけば、どんな患者さんが来ても失敗することはありません。
仕入と検証が必要なわけです。

  • 『孫子』謀攻篇
故曰、知彼知己者、百戰不殆、不知彼而知己、一勝一負、不知彼不知己、毎戰必殆、

敵を知り、味方を知れば、100度戦っても危険はない。味方を知り、敵を知らなければ勝ったり負けたりする。敵を知らず、味方も知らなければ、戦うたびに必ず危機に陥る。

治療成績で勝負する
鍼灸院経営の中心は、仕組みやサービスではなく、治療成績で勝負します。
あそこに行くと治るよー元気になるよーです😊
経営におけるこれ以上の良策を私は知りません。

自分を大事にしまわりに感謝する
体が資本ですから治療家自身の健康保全に努めます。
鍼とお灸の練習を兼ねて自分の治療をします。
体調を崩したときこそチャンスです。

また家族や身内や自分のまわりの大切な人たちの体調がすぐれない時は積極的に治療してあげてください。
日頃の恩を返すよき機会です。

  1. 自分の健康管理
  2. 家族の健康管理
  3. 自分のまわりの大切な人たちの健康管理
これを鍼灸師の三大義務としてください。

終わりに
勉強してください。
技術を身に付けてください。
社会や地域に貢献して徳をつんでください。
そうして求心力を高めれば患者は勝手に集まってきます。
このような格言があります。

“光ったナイフは草原の中に捨てられていても、いつか人が見出すものだ。”
清沢満之(信州大谷派の僧)

しかもご縁のある患者さんが来てくれます。
そしてご縁のあった患者さんを病苦から救ってあげてくたさい。

修行も修養も臨床も、全ては「道」に通じています。
故に上古天真論を設けて、養生を説いているのです。
真人、至人、聖人、賢人を紹介して、
治療家は道と一体となれるよう聖人(無心の人)を目指せと奨励しているのです。
その根底にあるのが、「老荘思想」です。

違いはあれ、老子も荘子も道を説いています。
道と一体になった者が聖人です。
聖人の特徴は「無心」です。
無心とは、
  1. 善悪、是非、美醜などの分別を退けること。あれこれ比べないこと。一切のはからいを捨てること。
  2. 私利私欲がないこと。自分の利益、自分に都合のよい願い、不安、いらだち、悩み、隠し事、後悔、世間体を気にする、気がねする、欲張るなどの有心をできるだけ取り除く。
無心であれば、よく診てよく治療することができます。
そういう治療家のもとに患者をまわしてくれるのです。
道は天地とつながっているからです。

道は人々の心の在り方でいかようにも分かれていきます。
道と一体となれるかはその人次第です。
上古天真論で対比している今の人と同じ現代人には中々困難な道かもしれませんが、現代人にも馴染みのある方の言葉で聖人への道をナビゲートさせていただき了とします。

”心が変われば行動が変わる  
行動が変われば習慣が変わる  
習慣が変われば人格が変わる  
人格が変われば運命が変わる“
(星稜高等学校野球部名誉監督 山下智茂)

治療家の資質
治療家の資質がない者はイバラの道が待っています。
治療家の資質とは、患者を思いやる気持ちです。
人ならば誰しもが持つ思いやりです。
鍼の道は人の道です。
霊枢では、黄帝が人民を思いやり、傷寒雑病論では張仲景が一族を思いやっています。
私たちも患者を思いやる心と病苦から救える実力を持たなければなりません。
以下に聖人の医療者としての気概を記します。

  • 『霊枢』九鍼十二原篇第一 法天
黄帝問於岐伯曰.
余子萬民.養百姓.而收其租税.
余哀其不給.而屬有疾病.
余欲勿使被毒藥.無用砭石.欲以微鍼.通其經脉.調其血氣.營其逆順出入之會.令可傳於後世.
必明爲之法.令終而不滅.久而不絶.易用難忘.
爲之經紀.異其章.別其表裏.
爲之終始.令各有形.先立鍼經.願聞其情.

あるとき、黄帝が岐伯を召されて、しみじみと話をなさるには、余はかねがね人民をわが子のように思い、また、文武百官をも大事にして、まつりごとを行っているつもりだ。しかしつらつら考えるにただ租税をとるばかりであって、人民どもに充分のこともしてやれない現状では余の心は痛む。そのうえ病邪に犯されて苦しんでいる者たちを見るごとに、まことに不憫に思われてならない。
そこで、このやまいを治療してやるのに、ただくすりを飲ませるだけでなく、また単にメスを用いて手術するだけでもなくて、この小さな鍼をもって皮膚の中に刺し入れ、それによってとどこおった経脈を通じ、みだれた血気の調和をとり、経脈中の血気の運行を円滑にさせ、このようにして病気を治してやりたいと思うのである。
それと同時に、この鍼による治法を確立し、永く後の世に伝えて久しく絶えることのないようにしたい。また、ひとたび治法を確立すれば以後は運用も容易になるし、記憶にも便利になって、有意義であると思う。
そのために規範を作り、各章を明らかにし、内容の表裏関係を弁別して、始めから終わりまでをはっきりと区分したい。また、使用する鍼は、すべて具体的にその形状を規定したい。
このようにして、鍼術の教典となるものを編纂したいと考えている。
  • 『傷寒論』
余毎覧越人入虢之診.望斉侯之色.未嘗不慨然嘆其才秀也。
怪当今居世之士.曾不留神医薬.精究方術.上以療君親之疾.下以救貧賤之厄.中以保身長全.以養其生.
但競逐栄勢.企踝権豪.孜孜汲汲.惟名利是務.
崇飾其末.忽棄其本.華其外而悴其内。皮之不存.毛将安附焉。
卒然遭邪風之気.嬰非常之疾.患及禍至.而方震慄.
降志屈節.欽望巫祝.告窮帰天.束手受敗。
賚百年之寿命.持至貴之重器.委付凡医.恣其所措。
咄嗟嗚呼.厥身已斃.神明消滅.変為異物.幽潜重泉.徒為啼泣.痛夫,
挙世昏迷.莫能覚悟.不惜其命.若是軽生.彼何栄勢之云哉.
而進不能愛人知人.退不能愛身知己.遭災値禍.身居厄地.蒙蒙昧昧.惷若游魂.哀乎. 
趨世之士.馳競浮華.不固根本.忘軀徇物.危若冰谷.至於是也.
余宗族素多.向餘二百。建安紀年以来.猶未十稔.其死亡者.三分有二.傷寒十居其七。
感往昔之淪喪.傷横夭之莫救.乃勤求古訓.博采衆方.撰用素問.九巻.八十一難.陰陽大論.胎臚薬録.并平脈辨証.為傷寒雑病論.合十六巻.
雖未能尽愈諸病.庶可以見病知源。若能尋余所集.思過半矣

越人(扁鵲)が虢(かく)の国へ行った時に、葬式の準備をしていたほどの仮死状態にあった太子を生き返らせたり、齊の国の桓候の顔色をみただけで病を見出したりした事実を書物でみるたびに、彼の才能が秀でていたことを今までに一度として感心し憤激しなかったことはない。
不思議に思うのは、世間の立派な人たちは、すぐれた医術を学び極めることで人々の病苦を療したり自分が天寿を全うしようなどとは少しも思うことがなく、出世したり多くの財を築こうとするために、自分より力や金のあるものに取り入ろうとして、毎日毎日あくせく名を売ることと富を得ることに一生懸命で、自分自身を削り命すらも捨ててしまうほどであるが、病気にかかり命が危うくなっても健康になることは出来ず、せっかく苦労して手に入れた権力や富も、命があってのものなのに。
突然風寒などにより激しい熱病にかかったり、とても重い病気を患ったりして事態が急になり心配したり恐怖を感ずるようになって、始めて恐れおののくようになる。そして、自分が今まで大事だと思っていたことを捨てて変心し、それまで気にもとめなかった巫女や神主に懇願する。いよいよ危篤となると、天命だとあきらめてむなしく受け入れる。人は天から百年の寿命を授かり、この上なく大切なものとして扱われていたものを、医術もろくに知らないやぶ医者に自分の命を任せて死んでいく。なんと情けないことであろうか。
ああ、その身体は死んで精神は消えて変わり果てた姿になって黄泉の国にただよう。このようになってから泣きわめく。痛ましいことだ。人は皆、利や名声にとらわれて、本当に大切なものがわかっていない。自分の命を惜しまずに軽くみていながら、どこに栄華や権勢があるというのだ。
他人を愛し親しむことができず、自分自身を愛し大切にし己を知ることができない。その結果、災難にあって、自分が危険な状態にいる。一向にその危うさに気づくことなく平気でいて、まるで魂のぬけがらのようだ。哀しいことだが、世間で威勢の良い人たちは、根本である心身の健康も顧みることなく、名誉や権力ばかりを求める。その危険なほどは、氷った谷を渡るようなものである。
私の一族一門は昔から多く、以前は二百人以上いたのだが、建安元年から十年もたたない間に、三分の二も死んでしまい、その原因の七割が傷寒によるものであった。そういった昔の悲惨な出来事を哀しく思い、救えなくて死んでしまった人々の事を痛ましく感ずることで、何とかしたいという願いから、できるだけ古人の残した書物から知識を求め、広く良い薬を探したところ、素問九巻、難経や陰陽大論、胎臚薬録の古経書と更に平脈証辨をも選び学んで、傷寒雑病論なる医術書をまとめ上げた。しかし、いまだにすべての病を治すのは無理ではあるのだが、病をみれば、病の原因
を知ることができるだろう。更に、学んできわめれば、それまで思い悩んでいたことの多くが知れるであろう。

鍼灸師の鍼灸師による鍼灸師のためのOWND ONE

鍼灸にはあらゆる流派や様式が在ります。 この多様性が日本鍼灸の優秀性のひとつだと感じています。 各流派に優劣は在りません。 それぞれに素晴らしい学術があり、互いに切磋琢磨する間柄です。 流派は違えど、患者を病苦から救うという同じ使命を持った鍼灸師に違いはありません。 元々1つです。 互いを認め高めあい、上工に成れるように、願いを込めてこの名前を付けました。 どうぞ、よろしくお願いします。